イギリス、オックスフォード
昨日インドを発たれたダライ・ラマ法王は、今朝、英国オックスフォードに到着された。早朝は小雨が降っていたが、その雨も法王がオックスフォード大学マグダレン・カレッジの校庭を歩かれるころにはほとんどあがっていた。法王は、庭に植えられた樹木を鑑賞されながら記者会見が行なわれる講堂に向かわれた。
席に着かれると、法王は、学びの場として名高いこの学校を再び訪問することができてうれしい、と述べられてから、ご自身の三つの使命について説明された。
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記者会見の会場となったオックスフォード大学マグダレン・カレッジの講堂へ向かわれるダライ・ラマ法王。2015年9月14日、イギリス、オックスフォード(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁)
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「第一に、私はこんにち生きている70億の人間のひとりにすぎません。だれもが問題に直面しますが、そのほとんどは私たち自身が作った問題です。私たちがその問題を作ったのですから、私たちはその問題を解決することもできるはずです。私は時々、大人たちも子どもたちのように自然に心を開くことができたら、他者を受け入れることができたら、と考えることがあります。実際は逆で、私たちは大人になるにつれて、生まれ持った人間のよい資質を育むことを忘れてしまいます。そしてお互いの二次的な違いにとらわれて、「私たち」「彼ら」というふうに区別して考えてしまうことが多いのです。このようなものの考えかたは、祈りによって変えることはできません。これを変えられるのは、知性や教育なのです。ゆえに私たちは、怒りや執着といった破壊的な感情と、幸せの源である思いやりのようなよい感情を区別することを学ぶ必要があるのです」
続いて法王は、第二の使命として、異なる宗教間の調和を育むという仏教僧としての使命について説明され、インドではあらゆる主要な宗教が共存しつつ繁栄してきたことを例に挙げられた。そして、すべての伝統宗教は思いやりや許し、自分が持っているもので満足することを教えているのだから、こんにちのように信仰心が原因で問題や暴力が生じるのはあってはならないことである、と述べられた。思いやりや許し、自分が持っているもので満足することは日々の生活に直接的に関わるものである。たとえば、思いやりがあるところに信頼が生まれ、それを土台として友情が生まれる。
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オックスフォード大学マグダレン・カレッジの講堂で記者会見を行なわれるダライ・ラマ法王。2015年9月14日、イギリス、オックスフォード(撮影:イアン・カミング)
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最後に法王は、第三の使命について語られ、多くのチベット人の信頼と期待に応えるためにチベット人として取り組んでおられることについて説明された。そしてその使命には、チベットの自然環境や慈悲と非暴力の文化を守ることも含まれていることについて語られた。
次に、ヨーロッパで起きている難民問題についての質問が記者から挙がると、法王は、難民に対するヨーロッパの国々の真剣な取り組みを高く評価されたうえで、次のように語られた。
「彼らの祖国で起きている戦闘が、難民とならざるを得ない状況を作ったのですから、原因となったその戦闘を止めなければならず、それを武力を用いずに行なわねばなりません。軍隊の力では問題を解決することはできません。それどころか、予期し得ない結果を生んでしまうことのほうが多いのです。西洋文明とイスラム教は相容れないと言うのは間違っていると思います。私のイスラム教徒の友人は、真のイスラム教徒というものは、戦いによって血を流してはならず、アラーがお造りになられたすべての生きとし生けるものを尊重しなければならない、と私に言います」
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オックスフォード大学マグダレン・カレッジの講堂で記者会見を行なわれるダライ・ラマ法王。2015年9月14日、イギリス、オックスフォード(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁) |
「思いやりを育むためのダライ・ラマセンター」が新設されたことについて意見を求められると、法王は、これまでの努力を称えたいが、大切なのはこれからである、と述べられた。続いて、中国の物質的発展がチベットに何らかの利益をもたらしたかという質問が挙がると、法王は、道路や空港、鉄道などの基盤が整備されたことに感謝している、と述べられた。また、習近平国家主席については、汚職に対する勇敢な取り組みから判断すると、前任者たちに比べて実際的であるように思われる、と述べられた。チベット自治区の設立50年を祝う記念式典が本土で行なわれていることについて意見を求められると、法王は、多くのチベット人はうわべではうれしそうに見えるが、内心は深い悲しみでいっぱいだろう、と語られた。
また、あるジャーナリストが、メディア関係者には報道する内容に対してより積極的に取り組む義務があると考えておられるかお尋ねすると、法王は、メディア関係者が自ら世界を変えることができないとしても、世界を変えようとしている人のために積極的に貢献することはできる、と述べられた。
続いてローズ・ハウスを訪問された法王は、ウォーデン、チャールズ、コンの出迎えを受けられてミルナー・ホールに入られ、三つの学校から集まった生徒たちに挨拶をされた。
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オックスフォード大学マグダレン・カレッジのローズ・ハウスで、生徒たちとの交流会を行なわれるダライ・ラマ法王。2015年9月14日、イギリス、オックスフォード(撮影:イアン・カミング) |
「お若い兄弟姉妹の皆さん、時は常に流れています。過去を変えることはできませんし、未来はまだここにありません。しかし、未来をつくる種は私たちの手の中にあります。未来は、変えることができます。私が生きてきた20世紀にはあらゆる問題がつくられましたが、その問題を解決するかどうかはあなたがた次第です。あなたがたは、私たちにとって希望の源です。おそらく21世紀の終わりには今よりも平和になり、幸せに暮らせるようになるでしょう。しかしそのためには、互いの二次的な違いに目を向けるのではなく、私たちはみな依存し合って暮らしていて、人類というひとつの大きな家族なのだということを考えてみなければなりません」
「非武装化や軍縮は、夢のように思えるかもしれません。しかし、皆さんはこれを実現することも、より幸せで平和な世界をつくることもできるのです。未来はあなたがたの手の中にあります。しかし、その未来が平和で幸せであるためには、他者の幸せを考えることのできる思いやりが必要です。そしてこれを現実のこととするには、世俗的倫理という普遍的価値を普通教育の中に組み込んでいく必要があります」
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オックスフォード大学マグダレン・カレッジのローズ・ハウスで行なわれた交流会に参加した生徒たちの一部とダライ・ラマ法王。2015年9月14日、イギリス、オックスフォード(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁)
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質疑応答に入り、生徒たちが三つのグループになって、法王に質問をした。一つ目のグループは、シリア難民について意見を求めた。法王は、難民の問題が真剣に考えられはじめていることへの感謝の言葉を述べられた。そして、難民を受け入れるということは長期にわたって教育や仕事の支援をすることを意味するので、実際的に考えて取り組む必要がある、と述べられた。また法王は、さらに大切なことは、彼らが難民となった原因である祖国の問題を解決することにある、と述べられた。
二つ目のグループは、生徒たちが決めた三つのルールを法王に紹介した。
「やさしくしよう、思いやりを持とう、親切にしよう」というそのルールに法王は同意されて、次のように語られた。
「その通りです。自分の幸せは自分以外の人が幸せであるかどうかに関連しているのですから、人類全体の幸せを考えなければいけません」
三つ目のグループは、生徒たちが育てている鶏の卵を法王に捧げた。
法王は続いて、「思いやりを育むためのダライ・ラマセンター」の会員に向けて講演を行なわれ、21世紀が始まってもなお人類は古い考えかたにとらわれていて、それによって自ら問題をつくりだしている、と語られた。そしてその例として最近、ロシアと中国が兵器を見せつけて軍事力を誇示していることを挙げられた。
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オックスフォード大学マグダレン・カレッジで、「思いやりを育むためのダライ・ラマ センター」の会員に向けて講演を行なわれるダライ・ラマ法王。2015年9月14日、イギリス、オックスフォード(撮影:ケイコ・イケウチ)
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「だれもが幸せを求めていて、苦しみを望んではいないのだということを、だれもがわかるようにならなければなりません。そのためには教育の質を高め、このことに気づけるようにしていく必要があります」
薬を飲めば苦しみを取り除くことのできる時代が間もなく来るのではないか、という意見に対して、法王は、心の問題を薬で克服できると考えることには懐疑的であるとして、次のように述べられた。
「私は、かき乱された感情を薬で克服できるとする考えには疑問を抱いています。かき乱された感情を克服するには、感情の働きを理解することのほうがはるかに大切です。感情の働きは古代インドの心理学によって詳しく理解されていたことであり、チベット人はこれを生きた智慧として育み、守り伝えてきました」
法王は、仏教は科学、哲学、修行という三つの側面に分けることができる、と述べられた。科学と哲学という側面はだれにでも学問として役立つが、修行という側面は仏教徒のみの務めである。法王は最後に、現実のありようを正しく理解することと思いやりをいかにして結びつけていくかを模索することを提案された。
昼食後、法王は、オックスフォード大学チベット研究学科のメンバーに会われた。チベット研究学科のメンバーは最初に一冊の本を差し出した。その本には、体調が深刻な状態にあるアンソニー・アリス氏への贈り物として全員がサインをしていた。
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オックスフォード大学チベット研究学科のメンバーとお話しされるダライ・ラマ法王。2015年9月14日、イギリス、オックスフォード(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁)
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法王はお話をされる中で、仏教がチベットに伝わったとき、チベット人にとってその教えがとても役に立ち、適切な教えであったことについて語られた。仏教が伝わったことにより、戦闘的であったチベット人が慈悲の心を深め、穏やかになったのである。法王は、チベット学がこんにちどのような意味を持つか考えるよう助言されて、アメリカの食堂で野菜を洗う仕事をしている元官僚のチベット人の話をされた。そのチベット人の同僚たちは、彼が野菜に付いている小さな虫を瓶に入れて、一日の勤務を終えるときに外に放してやっていることに気がついた。不思議に思った同僚がその理由を尋ねると、彼は、チベット人はみな命あるすべてのものに対する深い愛情を持っているため、これらの生きものを殺すことはしないということを説明した。
「チベット人には独自の文化があります」と法王は述べられた。「それは中国文化ではなく、チベット文化として守り伝えていく価値のあるものです。さらにその文化、言語、宗教によって、こんにちチベット人は心をひとつにしているのです」
この日の最後に、法王は「思いやりを育むためのダライ・ラマセンター」の除幕式に出席された。法王はそのプログラムのひとつとして行なわれた講演会で、旧友のアレックス・ノーマン氏と対話を行なわれ、法王ご自身の人生からの教訓について語られた。法王は、教育に力を入れることが大切であることを強調されて、教育が唯一の希望である、と述べられた。法王は、修行としての宗教、哲学としての宗教は相応の場を得ているように思われるが、教養として宗教を学ぶ面は時代の流れに追いついていないので変えていかなければならない、と述べられた。
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「思いやりを育むためのダライ・ラマ センター」の序幕式典のプログラムのひとつとして、オックスフォード大学マグダレン・カレッジのローズ・ハウスでご講演されるダライ・ラマ法王。2015年9月14日、イギリス、オックスフォード(撮影:ケイコ・イケウチ)
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法王は再度、世俗的倫理の必要性を強調されて、インドの不可触民階級の地位向上のために尽くした社会改革運動家で政治家のアンベードカル博士やインドの初代大統領ラジェンドラ・プラサード氏がきわめて篤い信仰心を持ちながらも、厳密なまでに世俗的な国家構造を独立後のインドに敷いたことに言及された。そして、このような世俗的なアプローチは適切で意義あるものとしてこんにちまで引き継がれてきたことを繰り返し語られて、人間の本質には思いやりがあることが科学的に証明されていることを示唆された。同時に、たとえ裕福でなくても、その家庭にやさしさと思いやりがあるならば幸せに暮らせるし、裕福であっても、嫉妬ばかりで愛情がなければ不幸せであることを、私たちは常識として知っているのである。
法王は質問に答えられる中で、宗教の世俗的な役割は確固としているが、この宗教、あの宗教と区別をしていては普遍的な呼びかけができないので、世俗的倫理と呼ぶほうがこんにちにふさわしい、と述べられた。そして目の前の最後の質問者に向けて、次のように語られた。
「現実に即して生きることです。年を取っているのに若いふりをしたり、頭がよくないのに利口なふりをするのではなく、現実に即して生きるほうがよいと思います。世界を変えられるかどうかは私たち次第です。私たちのだれもが努力するならば、次の世代はより幸せで平和な世界を目にすることができるでしょう。今日、こうして皆さんにお目にかかれたことを感謝しています。ありがとうございました」