2015年6月5日
オーストラリア、ブルーマウンテン、ローラ
ダライ・ラマ法王は法話のはじめに、集まった聴衆に向けて次のように挨拶をされた。「兄弟姉妹の皆さん、私は再びここに来ることが出来てとても嬉しく思っています。これまで長年の間オーストラリアとニュージーランドの多くの方々を存じ上げていましたので、今回は再会のようなものですね。また、新しい友人を作る機会でもあります」
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初日の法話が始まる前、金剛怖畏の灌頂授与に先立って準備の儀式を執り行われるダライ・ラマ法王。方法。2015年6月5日、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州ローラ(撮影:ラスティ・スチュワート)
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法王は、二年前に最後にオーストラリアを訪問されたとき、次回の訪問は僧侶や尼僧たち、そして仏教に心からの関心を寄せている一般の方々のために密教の教えを説くのがよいだろうと提案されたことを述べられた。
そして法王は、密教の教えに入る前に、どのように仏法がチベットに普及したかを説明したいと言われて、次のように語られた。
「チベットに仏教が伝播した時期は、前伝期と後伝期に分けられます。前伝期は、アティーシャと翻訳官リンチェン・サンポが登場した10-11世紀以前の時代で、前伝期に伝えられた仏教はニンマ派(古派)と言われます。そして11世紀以降の後伝期に入ると、サキャ派、カギュ派、ゲルク派、ジョナン派という新派が起こり、チベット仏教の主な宗派がすべてそろったのです。修行道の一般的な構造はすべての宗派に共通しており、修行の実践は、論理的な検証方法と正しい根拠に基づいています。しかし、密教の教えについて言えば、密教は特別な個人の修行者に対して説かれるものなので、各宗派の教えはそれぞれ異なっています。たとえば、秘密集会(グヒヤサマージャ)タントラとカーラチャクラタントラでは、脈管・風・心滴(ツァ・ルン・ティグレ)についての説明のしかたは違っているのです」
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法話の初日、ダライ・ラマ法王の法話に聞き入る聴衆。2015年6月5日、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州ローラ(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁)
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続いて法王は、次のように述べられた。「私は今日ここで、チベット仏教は本質的にナーランダー僧院の伝統に基づくものであることを強調しておきたいと思います。なぜならば、チベット仏教のことをラマ教と呼び、あたかもラマが作り出した教えのように誤解している人たちがいるからです。しかし、ニンマ派の教えはシャーンタラクシタとパドマサンバヴァがチベットに来られて伝えられた教えです。シャーンタラクシタはナーランダー僧院の最もすぐれた学僧のひとりであり、それはシャーンタラクシタの仏教哲学と論理学に関する著作によって証明されています。また、パドマサンバヴァも、ナーガールジュナをはじめとするナーラーンダー僧院の8人の偉大な導師たちを師としています。カギュー派の教えは、主にナーランダー僧院の学僧として秀でていたナーローパから引き継がれており、サキャ派の教義の源はヴィルーパから始まっていますが、ヴィルーパはナーランダー僧院ではダルマパーラとして知られていました。ヴィルーパは、ヘーヴァジュラのダーキニーたちが彼の宿坊に集まって教えについての議論をしたといわれているほど高い境地に至っておられた方です。僧院の規律管理者であった僧侶はそのダーキニーたちの声を聞き、ダルマパーラを僧院から追放したので、彼はヨーガ行者のヴィルーパとなりました。そしてカダム派の開祖であるアティーシャは、ナーランダー僧院の伝統に従うビクラマシーラ僧院の学頭として教鞭をとっておられました。ですから、これらのことを考え合わせると、チベット仏教はナーランダー僧院の伝統、すなわち、論理的検証と根拠を重視する伝統を引き継いでいると言うことができるのです」
さらに、教えとそれを説く師が、どちらも正しい資格を備えているかどうかを確認する必要があるが、それについて法王は、サキャ・パンディタのお言葉を引用されて、「商人が宝石などを買う時は、様々な分析をして、商品が本物かどうかをよく調べてから買うのと同じように、教えとそれを説く師についても、弟子がそれをきちんと吟味することが必要です。ジェ・ツォンカパは『菩提道次第論』の中で、ラマ(師)の立場にあって他者の心を鎮めようとする者は、まず自分の心が鎮められていなければならない、と説明されています。師となるためには、戒律・禅定・智慧という三つのより高度な実践(三学)を修めている必要があるのです」
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法話の初日、説法をされるダライ・ラマ法王。2015年6月5日、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州ローラ(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁)
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法王は、密教の無上ヨーガタントラの教えを受けようとするときも、ジェ・ツォンカパの『修行道の三要素』を前もって学んでおくべきであると述べられた。なぜならば、菩提心生起と空を理解する智慧について説かれているからであり、これらの理解がなければ、密教の修行をすることはできないからである。
すべての現象は、それ自体の力で他に依存せずに生じることはなく、究極的にみれば現象の実体は微塵ほども存在していないので、単に名前を与えられただけの存在として成立しているにすぎない。これを理解することによって無明を克服しない限り、私たちは苦しみを断滅して解脱に至ことはできないのである。
法王は、「『私』とは単なる名称であり、そのような『私』の土台となっている心とからだもまた、それ自体の側から成立する実体のない、空の本質を持つものであると理解することによって、煩悩という破壊的な感情を断滅することができるのです」と説明された。そして菩提心は、自己中心的な態度と正反対の働きをする心なので、利己的な考え方をなくし、利他の心を高める。法王は『修行道の三要素』について解説されて、「空の理解は無知の闇を晴らし、所知障を断滅する」と述べられた。慈悲の心に根ざした菩提心は、実際に他者を苦しみから救済しようと願う心のことである。しかし、自らの苦しみを認識できなければ、他者を苦しみから救うことはできない。それ故、まずはじめに自分が苦しみから解放されたいと望む出離の心を育まなければならないのである。
昼食後、法王はご自身が書かれた『ナーランダー僧院の17人の成就者たちへの礼讃偈』を紹介された。古代インドの学者や行者たちは、心の働きについての完全な理解を得ていたが、その後。その理解は衰退してしまった。しかし、仏教徒はそれを生きた教えとして維持してきた。法王は以前の『荘厳なる6人と至高なる2人と言われる八師への礼讃偈』には、シャーンティデーヴァやヴィムクティセーナなどが含まれていなかったため、新たに9人の偉大な導師たちを加えて、そのすぐれた資質を強調する礼讃偈を書くことを決められたのである。これらの偉大な成就者たちの中で最も時代が新しいのはアティーシャであり、その著作である『菩提道灯論』はすべてのチベット仏教の宗派に影響を及ぼしており、各宗派には、修行道の段階についてのそれぞれの解説書がある。
最後に法王は、「過去には、大乗は仏陀の教えではないと主張否定するだけでなく、密教も仏陀の教えではないと主張する否定した人たちがいました。しかし、大乗も密教も仏陀が説かれた教えであるということを、正しい根拠に基づいて証明し、それを著作に書き残された偉大な仏教の導師たちがおられるのです」と述べられた。
法王は、金剛怖畏の灌頂授与に先立って前行法話を始められた時、最初にこの灌頂をタクダ・リンポチェから授かり、その後何度かリン・リンポチェからも授かっている、と述べられて、「儀式の助手を務めてくれた人たちの中で、尼僧の方々は様々な儀式の小物を参加者に配っていただき、素晴らしかったです。灌頂は明日に続きます」と締めくくられた。