法王は東京駅で車に乗り込まれると、渋滞気味の混雑した道を總持寺へと向かわれた。總持寺に到着されると、僧侶たちの出迎えを受けられて仏殿へと向かわれた。そして、仏様に拝されると、總持寺の僧侶たちや関係者とともに日本料理の昼食を召し上がられた。法王は昼食会の終わりに、今年は總持寺の開祖で太祖と呼ばれ仰がれている瑩山禅師を偲ぶ特別な年であり、法王のご講演もその記念行事の一環であるという説明を受けられた。そこで法王は、記念に二つのメッセージを色紙に記され、続いて總持寺の江川ご住職に仏像を贈られるなど、贈り物の交換をされた。
法王は、エスコートを受けられて講演会場である大祖堂へと向かわれた。渡り廊下を進まれると、廊下に沿って絵のように美しい庭が広がっていた。法王が大祖堂に入られると、法王のお話を聴こうと待ちかねていた1,800名の人々が拍手でお迎えした。法王はチベット語でお話しされ、続いて日本語への通訳が行なわれた。法王は、人間というレベルで考えるならば、私たちはみな同じである、と述べられると、次のように語られた。
「私たちのだれもが幸せを求め、苦しみを避けたいと願っています。そして、お寺のお堂で話をしている今、私たちは幸せで満ち足りた気持ちなのかもしれませんが、こうしている間にも、別の場所には悲しみに沈んでいる人々がいます。」
「今を生きている70億の人間のだれもがまったく同じように幸せを求めているにもかかわらず、私たち自身の怒りや憤りゆえに、“私たち”“あの人たち”という区別をしてしまいます。このような区別に基づいた態度は争いを助長し、時には殺し合いにさえなりかねません。とりわけ悲しいことは、このような争いが宗教をめぐって起きていることです。」
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總持寺の大祖堂で講演をされるダライ・ラマ法王。2015年4月11日、横浜市、總持寺大祖堂(撮影:テンジン・ジグメ) |
法王は、すべての宗教が愛と思いやりを説いていることを強調された。そして、宗教を信心している者が怒りや憎しみに屈してしまうのは、真摯に宗教を実践していないからである、と述べられた。こんにち、10億の人々は宗教を信心していないと言われているが、この10億の人々も、私たちが生きていくためには愛情が欠かせない要素であることを同じように分かち合っている。私たちは母親の愛情によって生まれ育つが、大人になってからも友人や愛情というものは生きていくのに不可欠である。常に怒りや疑念に屈していては、友人がいなくなるだけでなく、健康までも害してしまうだろう。宗教を信心していてもいなくても、愛情を必要とするのが人間というものだ。
「日本は歴史的に仏教国です。仏教には、パーリ語の伝統である小乗仏教と、サンスクリット語の伝統である大乗仏教があります。小乗では経典に書かれているお言葉を引用することに重きが置かれ、大乗では教えを論理的に検証することに重きが置かれます。大乗仏教徒である日本の僧侶や一般信徒の皆さんは日常的に『般若心経』を唱えていらっしゃいますので、唱えるだけではなく、その意味を論理的に検証することが必要とされます。また宗教は、創造主としての神の存在を受け入れている宗教と受け入れていない宗教の二つのグループに分けることができます。創造主としての神の存在を受け入れていない宗教にはサーンキヤ学派の神を受け入れていない学派、ジャイナ教、仏教がありますが、その中で、五蘊(心とからだの構成要素の集まり)とはまったく別個の存在として、永遠で、単一で、それ自体の側から成立している独立した自我はない、と主張しているのは仏教だけです。自我は、からだと心に依存して名前を与えられただけの存在にすぎません。からだが変化すれば、自我も変化します。からだが年をとると、“私は年をとった”と言うのは、その例です。」
法王は、インドの他の宗教と同様に、仏教もまた、かき乱された心である煩悩を滅して輪廻から解脱することを目標としている、と語られた。心に煩悩という障りがある限り、私たちは輪廻に捕らわれ続けているのである。
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ダライ・ラマ法王のお話に笑顔で応える聴衆。2015年4月11日、横浜市、總持寺大祖堂(撮影:テンジン・ジグメ)
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「そこで、本当に幸せになりたいならば、かき乱された自分の心を訓練して鎮めてやらなければなりません。日本のように忙しい国に住んでいても、心の訓練は必要です。先進国の多くの国々は物質的に非常に豊かですが、そこに住む人々は必ずしも幸せとは言えません。私は、望む物はすべて手に入れてきたという億万長者と言われる人たちと話をしたことがありますが、その人たちは望むものをすべて手に入れてもまだ幸せではないと言います。一方で、スペインのモントセラトで出会ったカトリック修道士は、山の中に5年間ひとりで籠ってパンと水だけで暮らし、瞑想修行をした、と話してくれました。そこで私が、何について瞑想していたのか訊ねると、“愛”について瞑想していたのだと言いました。その目は幸福感に満ち、輝いていました。身体的な安楽がほとんどなくても、彼は幸せだったのです。」
法王は、精神的な苦悩というものは身体的な安楽だけでは解消できないが、身体的な苦痛は、心が平和であれば対処することができる、と説かれた。この法王のお言葉は、心の平和を培うことがいかに大切であるかを示している。世界の主要な宗教はみな、人間が幸せになることを助けるために存在しているが、その方法といえば、ほとんどが信心を土台としている。しかし仏教は、信心も大切であるが、論理的検証に重きを置いている。つまり仏教が説いているのは、正しい智慧を育むことによって煩悩を鎮め、心の平和を培う方法なのである。仏教において戒律、禅定、智慧という特にすぐれた三つの実践修行(三学)が重要視されているのは、戒律に基づいて禅定を育み、禅定の力によって正しい智慧を体得して、心によき変容をもたらすことができるからである。
法王は、チベット人はディグナーガ(陣那)やダルマキールティ(法称)といったインドの仏教論理学者の著作に深く影響を受けてきた、と述べられ、かつては日本の仏教も論理的検証に重きを置いていたことがあると耳にしたが、そのような伝統があるならば、ぜひ復興させていただきたい、と語られた。
法王は、「ここにいらっしゃる皆さんの中には私に微笑み返してくださる方もみえますが、ほとんどの方は真面目なお顔のままですね」と、聴衆をからかわれ、笑いを誘われた。そして、先日ともに講演を行なわれた科学者でご友人の村上和雄筑波大学名誉教授から、笑いが心とからだにどれほどよい効果をもたらすかを教えてもらった、と語られた。
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總持寺で行なわれた講演会で、聴衆の質問に答えられるダライ・ラマ法王。2015年4月11日、横浜市、總持寺大祖堂(撮影:テンジン・ジグメ)
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質疑応答のセッションに入ると、最初に質問した男性は、法王がどこへ赴かれるにも法衣を着ておられることに感銘を受けている、と述べてから、「法王猊下は、どのようにして困難に立ち向かっていらっしゃるのでしょうか」と訊ねた。法王は、「一切有情のことを考えて物事を幅広く捉えて考えるようにしています。視野を広げるためにも、日本の若い方々はもっと英語を学び、海外の国々へボランティアに行かれるとよいと思います」とアドバイスされた。
また法王は、白血病を患った母親にもう一度笑ってもらうにはどうしたらよいか教えてほしい、と言う男性に、「効果があるかもしれないので、私が持っているチベット医学のお薬をわけて差し上げましょう。あとで取りに来てください。そしてお母さんのために祈りましょう」と述べられた。その男性は一瞬とても驚いた表情になったが、すぐにそれは幸せに満ちた笑顔に変わっていった。
続いて、毎日座禅を組んでいるという女性が、座禅を組むことは仏教を広めるのに効果があるか訊ねると、法王は、仏教を広めることを目的として活動したことは一度もない、と述べられた。法王が世の人々に広めようとしておられるのは、宗教を越えて私たちが共有している体験や感覚、科学的証拠に基づいた世俗的倫理だからである。
次に、自信を持てない人や自信をなくした人が自信を持てるようにサポートすることを仕事としているという質問者が、利他の心と自分を尊ぶことをどのように関係づけていくべきか訊ねた。法王は、自分の問題ばかり考えていると、くよくよ悩むことになってしまうので、もっと広い目で物事を考えなければならない、と答えられた。そして、日本の皆さんの中でも、ボランティアとして海外の国々を訪れたことのある方たちは、日本がいかに発展した恵まれた国であるかということがよくわかっていることと思う、と語られた。
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總持寺で行なわれた講演会で、ダライ・ラマ法王に質問をする聴衆。2015年4月11日、横浜市、總持寺大祖堂(撮影:テンジン・ジグメ)
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また、世界が取り組むべき最も大切な問題について意見を求められると、法王は、12月にローマで開催されたノーベル平和賞受賞者世界サミットにふれられ、核兵器廃絶の実現に向けて具体的な計画を立てて取り組む必要がある、と述べられた。そして、日本には広島と長崎という二つの被爆地があり、核兵器廃絶運動の先頭として取り組んできたが、これからも引き続き取り組んでほしい、と語られた。
またある女性は、治療の手立てがなく、余命一年というがんの宣告を受けた友人がいるが、いかにすれば友人の力になれるか、という質問をした。法王は、「あなたの友人が仏教徒ならば、愛と思いやりの心を育み、菩提心を起こすこと、そして仏陀に対する一点に集中した信心を起こすことが心の励みになるでしょう。シャーンティデーヴァ(寂天)が著された『入菩薩行論』には、次のような詩頌があります」と述べられた。
もし改めることができるなら
なぜ憂いているのだろう
もし改めることができないならば
憂いて何の役に立つというのだろう
また別の女性が、現代社会の情報過多にうんざりしている、と述べると、法王は、うんざりしているくらいなら、その時間を心の働きを学ぶ時間にあてるよう助言された。近代社会では物質志向の傾向があるが、五感による快楽を求めることよりも、純粋な意識作用としての心について知ることの方がはるかに重要であると述べられた。
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講演後、退場される途中で聴衆と握手をされるダライ・ラマ法王。2015年4月11日、横浜市、總持寺大祖堂(撮影:テンジン・ジグメ)
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また、絵を描くことを生業としているという女性が、平穏な心で過ごしたいと願って本を読んだり座禅をしたりして努力しているが、毎日を幸せに暮らすことができないと訴えて、幸せに生きるためのアドバイスを求めた。すると法王は再び、『入菩薩行論』を読むよう勧められた。そして、『入菩薩行論』は日本語に翻訳されていて、第6章と第8章はそれぞれ忍耐と禅定について説かれているのでぜひ読んでいただきたい、と述べられた。また、第9章には智慧について説かれているので、難解ではあるがぜひ読んで実践するよう助言されると、最後に次のように述べられた。
「あなたはお若いのですから、これから勉強していけばよいのです。こつこつと勉強することで、やがて効果が現れてきます。以前、チベットを旅したという日本人男性が私に会いに来てくれたことがあるのですが、その人は、チベット寺院の中に描かれていた忿怒尊の仏画がとても恐ろしかったと言っていました。たとえば、2、3歳の幼児に人々が争っている絵を見せるとそれを嫌がり、人々が仲良く楽しんでいる絵を見せるとそれを喜ぶ、という科学者たちの実験結果がありますが、このように人間は本来的に愛情を求めているのです。ですからあなたも、穏やかで平和な絵を描こうと努めてください。そうすることで、人の心を平和へと導いていくことができると思います。」
法王が講演を終えられ、聴衆の間を通って出口に向かわれると、多くの聴衆が握手を求めて詰めかけた。そしてホテルに到着されたときには、ロシアや中国、モンゴルなど明日の法話のために来日した団体の代表者たちが法王を出迎えた。法王は明日、『般若心経』とナーガールジュナ(龍樹)の『菩提心の解説』、カマラシーラの『修習次第』中篇の法話を説かれる。