岐阜
ダライ・ラマ法王は今朝、何組かの謁見に応じられてから、朝日新聞の小暮哲夫氏と磯村健太郎氏、そして株式会社ライブ・ビューイング・ジャパンの取材に応じられた。その中で、法王がノーベル平和賞を受賞されてから25年以上が経過した今、テロが世界中に広がっていることをどのように受け止めているかという問いかけに、法王は次のように答えられた。
「東西冷戦の象徴であったベルリンの壁の崩壊後、ソ連が崩壊し、ワルシャワ条約機構も解体されました。それまでワルシャワ条約機構に加盟していたいくつかの国々が民主国家として生まれ変わりました。吹き荒れていた核兵器の脅威が静まったことで、世界はそれまでよりも安全になりました。テロの問題が深刻化していることは事実ですが、それでも核戦争の危機にあった頃に比べれば、現在の世界情勢は穏やかだと言っていいでしょう。
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朝日新聞と株式会社ライブ・ビューイング・ジャパンのインタビューに応じられるダライ・ラマ法王。2015年4月8日、岐阜(撮影:テンジン・ジグメ) |
残念なことは、テロというものが宗教的信仰に結びつけられてきていることです。われわれは、このようにして宗教に関わる人たちに声が届くよう一層の努力をしていかなければなりません。これまで宗教というものはすべて人々の心のよりどころでしたし、今後もそれは変わらないでしょう。われわれは、この広い世界には複数の宗教があり、複数の真実があることを受け入れなければなりません。」
「2011年9月11日のアメリカ同時多発テロが起きた時、私はブッシュ大統領にお悔やみのメッセージを送りました。そして、『あなたならば、この重大な事態を非暴力的な方法で解決できると信じている』と伝えました。私が懸念したのは、あの時すでにビン・ラディンというテロリストが1人いたわけですから、武力を行使すれば、さらに10人のビン・ラディンあるいは100人のビン・ラディンが生まれる危険があったことでした。問題は、暴力を行使することによってさらなる暴力が引き起こされることです。テロリストたちも私たちと同じ人間であることを念頭において、彼らと話し合う方法を見いだしていかねばなりません。」
記者が、そのような対話の場を持つのはきわめて難しいのではないか、と指摘すると、法王は、確かに難しいことではあるが、と同意された上で、一部の強硬派の心が変わらない可能性はあるが、その他の人たちは適切な側から適切な提案をすることで応じてくれる可能性がきわめて高い、と粘り強く説明された。法王は、ヨルダンで会われたイスラム教徒たちが教養豊かで世界の動向を詳細に把握していたことにふれられて、インド人のイスラム教徒たちは異なる宗教が平和的に共存する社会で暮らすことに慣れ親しんでいて、仲間のイスラム教徒によい影響をもたらせる可能性がある、と語られた。
そして、「これは問題を解決する唯一の方法です。爆弾を落とすだけでは、問題を解決することはできません」と述べられた。
記者が、表現の自由と信教の自由とのバランスをいかにして見出していくべきか訊ねると、法王は、自由が与えられているからといって、人の命を奪ってよいということではない、と述べられた。そして、先述のイスラム教徒の友人たちが、「殺人に手を染めたイスラム教徒は、もはやまっとうなイスラム教徒ではない」と法王に語った話をされた。また法王は、その友人たちが、ジハード(聖戦)という言葉の意味が往々にして誤解されている、と説いていることにふれられて、ジハードとは他者を害することではなく、かき乱された感情と闘うことを意味する、と述べられた。そして、その点について言えば、世界の主要な宗教はみなジハードに取り組んでいることになる、と述べられた。
「表現の自由は大切です。しかし、正しい行ないの中で用いなければなりません。表現の自由を正しい行ないの中で用いるならば、その土台には、人間というものは本質的に穏やかで、知性を持っていて、その知性を建設的な目的のために使うことができる、という理解があるはずです。」
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インタビューを終えられて、株式会社ライブ・ビューイング・ジャパンのイメージキャラクター「ほえやま君」と対面されるダライ・ラマ法王。2015年4月8日、岐阜(撮影:テンジン・ジグメ)
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暴力や暴力が発生しかねない事態に独自に介入することについて、法王は、イラクが重大局面にあった時、ノーベル平和賞受賞者たちがバグダッドへ赴いてサダム・フセインを説得する話があったことにふれられた。法王は、その話の発端は、フセインが自分の死も自国の侵攻も望んでいないことにあった、として、シリアにしろ、今でもノーベル平和賞受賞者の一団が現地へ赴いて両者に会って、「本当はどうしたいのか。本当にイスラム教を信心しているのか。イスラム教に寄せられている信頼を考えたことがあるのか」と問うことはできる、と述べられた。
対立はさまざまな場所で起きているが、第三者による仲介が効を奏する可能性はある。法王は、ミャンマーの仏教徒とイスラム教徒との抗争にふれて、現地の仏教徒たちに、「自分が対立の渦中にあることに気づいたら、仏陀のお顔を思い浮かべてください」と呼びかけを行なわれた話をされた。そして、仏陀が生きておられてこの状況を目にされたなら、攻撃にさらされているイスラム教徒たちを守るべく手を差しのべられただろう、と語られた。
続いて、中央チベット政権と中国指導部との対話の見通しについて質問されると、法王は、この対話は1979年からはじまり、1993年にいったん断絶したものの2002年に再開されたが、現時点では具体的な結果は出ていない、と答えられた。そして、中国共産党の強硬派は、チベット人が中国からの分離独立を企てているという主張を続けているが、われわれが独立を求めていないことは世界中の方々がよくご存知である、と語られた。また習近平国家主席については、汚職に対する取り組みから判断すると、これまでの指導者よりも現実的で誠実であるように思われる、と述べられた。また同時に、有識者だけでなく一般の中国人の間にもチベット人を支援する思いが広がっているように見受けられる、と語られた。
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曹洞宗岐阜県青年会創立四十周年記念「仏教に出会えてよかった 花まつりに集う仏法僧」のステージ。法王のご登壇に先駆けて、仏陀に礼拝を捧げる僧侶と歌を捧げる児童たち。2015年4月8日、岐阜、長良川国際会議場(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁)
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昼食後、法王は、ホテルを出られて長良川国際会議場へと歩かれた。釈尊の降誕会が各地で行なわれていたこの日、法王は、曹洞宗岐阜県青年会の招きで曹洞宗岐阜県青年会創立40周年記念行事の一環として特別講演をされることになっていた。「仏教に出会えてよかった 花まつりに集う仏法僧」と題する記念イベントの幕が上がると、法王と曹洞宗の親交をテーマにしたじつに印象的なビデオ映像がスクリーンに映し出された。可愛らしい児童たちの歌と踊りに続いて曹洞宗の僧侶による仏陀への礼拝が行なわれると、法王もステージに登場された。
法王は講演の中で、仏陀が生きておられた時代から2600年以上の月日が経過したが、仏陀の教えは今なお日本をはじめとするさまざまな国で花開き続けている、と述べられた。そして、こんにちでは仏教を信心する習慣のない国々でも仏教が説いてきた心の働きに関心を寄せる人々が増えている、と語られ、他の伝統宗教も人間が幸せに生きるためにあるのだから、たとえ自分が信心していない宗教でも敬意を持って接しなければならない、と述べられた。
「仏教のユニークな点は、釈尊が説かれた縁起の見解にあります。しかし、仏教が他の宗教よりもすぐれているという意味ではありません。いずれの宗教にしろ、各自の気質に最もふさわしい宗教が、その人にとっていちばんよい宗教となるのです。釈尊が場に応じて異なる教えを説かれたのも、場によって教えを聴く人たちの気質が異なっていたからなのです。釈尊は、独立して存在する自我はない、と説かれましたが、また別の場では、心とからだの構成要素の集まりである五蘊とは荷物のようなものであり、人はその荷物を運ぶ者として五蘊とは別個に独立して存在している、と説かれました。宗教もまた数多ありますが、愛・思いやり・自分が持っているもので満足することなどは、すべての伝統宗教が説いている共通のメッセージです。」
「仏教の教えの基本である「四つの聖なる真理」(四聖諦)と「悟りに至るための三十七の実践」(三十七道品)は、パーリ語の伝統である小乗仏教とサンスクリット語の伝統である大乗仏教に共通する教えです。釈尊は、霊鷲山で第二法輪を回されて、「完成された智慧」を意味する般若波羅蜜を説かれました。釈尊は、教えを論理的に検証することによって智慧を育むべきであると説かれています。これは、土台の段階、修行道における段階、結果の段階のすべてにおいて必要とされます。土台の段階では、空を理解する智慧を心に馴染ませていきます。修行道の段階においては、育んだ智慧を瞑想によってますます高めていきます。そして修行の結果として、悟りの境地に至ることができるのです。」
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曹洞宗岐阜県青年会創立四十周年記念「仏教に出会えてよかった 花まつりに集う仏法僧」で、特別記念講演を行なわれるダライ・ラマ法王。2015年4月8日、岐阜、長良川国際会議場(撮影:テンジン・ジグメ)
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法王は、論理的検証こそがナーランダー僧院の伝統の中でも最も重要な特徴であり、仏教における論理的検証は現代科学の論理的方法に相通ずる、と述べられた。事実、法王は30年以上にわたって仏教の心の科学という側面において科学者と対話を行なわれており、チベット仏教僧の教育課程にも科学の授業を導入されている。科学者との対話について、法王は、対話によって量子物理学と大乗仏教の哲学的見解が多くの点で一致することが明らかになった、と述べられた。
そこで法王は、「聞・思・修」という仏教における智慧の実践について解説された。教えを聞いたり読んだりして学んだら、それを論理的に検証して理解を深めていく。そのようにして教えを理解したら、瞑想によって教えを心に馴染ませる。これが洞察力を育む方法である、と述べられた。そして、「観」(鋭い洞察力)を育むには、「止」(一点集中の瞑想)によって高められた禅定の力と分析的な瞑想によって得られた智慧を結びつけなければならない、と述べられて、戒律・禅定・智慧による三つの実践修行(三学)について説かれた。
釈尊は『般若心経』の中で、「ガテー・ガテー・パーラガテー・パーラサンガテー・ボーディスヴァーハー(掲帝 掲帝 波羅掲帝 波羅僧掲帝 菩提僧莎訶)と説かれたが、これは、「行け、行け、彼岸に行け、彼岸に正しく行け、悟りを成就せよ」という意味である。つまり仏陀は、悟りに至るためには次の五つの修行道を進めと弟子たちに説いておられるのである。
ガテー(掲帝)―― 資糧道(素材を集める段階)
ガテー(掲帝)―― 加行道(準備の段階)
パーラガテー(波羅掲帝)―― 見道(空を直観で見抜いた段階)
パーラサンガテー(波羅僧掲帝)―― 修道(瞑想により空を心に馴染ませる段階)
ボーディスヴァーハー(菩提僧莎訶)―― 無学道(学び尽くした段階)
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曹洞宗岐阜県青年会創立四十周年記念「仏教に出会えてよかった 花まつりに集う仏法僧」の質疑応答のセッションで、仏教徒の手の合わせかたを説明されるダライ・ラマ法王。2015年4月8日、岐阜、長良川国際会議場(撮影:テンジン・ジグメ)
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質疑応答のセッションに入ると、さまざまな年齢の質問者がこの日のために用意していた質問を順番に法王にお訊ねした。幼い子どもが、「どうして手を合わせるのですか」と訊ねると、法王は、「相手を敬う気持ちを伝えるためです」と答えられた。そして、「手の合わせかたは二通りあります。一般的な方法では、左右の掌をぴったり合わせます。しかし仏教徒の手の合わせかたは、宝物を包み込むように親指を手の内側に折り込んで掌の中に空洞を作ります。こうすると、ふくらませた形が如意宝珠に似ているのです。如意宝珠は色身を、中の空洞は空の智慧、つまり法身を象徴しています」と、ご自身の手を合わせて説明された。
続いて、別の少女が、「次にお生まれになる時には、どこに生まれたいですか」と訊ねると、法王は、いつも心に置いておられるシャーンティデーヴァの「菩提心生起」の偈を紹介された。
この虚空が存在する限り
有情が存在する限り
私も生き続けて
有情の苦しみを滅することができますように
次に、ブータンで暮らしたことがあるという青年が幸せについて質問すると、法王は、「幸せは、五感を通して感じる感覚的な幸せと精神的な幸せに分類されます。精神的な幸せは、心を訓練することによって高めていくことができます」と述べられた。
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曹洞宗岐阜県青年会創立四十周年記念「仏教に出会えてよかった 花まつりに集う仏法僧」の質疑応答のセッションで、子育てについてダライ・ラマ法王にアドバイスを求める若い母親。2015年4月8日、岐阜、長良川国際会議場(撮影:テンジン・ジグメ)
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続いて、子どもを抱いた若い母親が、日々の子育てにおいていちばん大切なことは何か、と訊ねると、法王は、子育ての経験がないのでよくわからないが、と述べられてから、次の言葉を贈られた。
「子どもさんには、心からの愛情を込めて接してあげてください。」
葬儀屋の男性が、死者のために何ができるか教えてほしい、という内容の質問をすると、法王は、次のように述べられた。
「私たちは仏教徒ですから、創造主としての神の存在を受け入れていません。仏教徒は『因果の法』を信じていて、自分の身に起きたことは自分が起こしたものであると考えます。亡くなられた方が今世でよいことをたくさんなさっていれば、来世において恵まれた生を得ることができるでしょう。釈尊は、『あなたは、あなた自身の主人である』と述べておられます。つまり、自分自身の将来は、自分がなした行ないによって決まっていく、ということです。お亡くなりになられたのがあなたのご家族ならば、あなたがご家族を代表して供養をすることです。お父様かお母様がお亡くなりになられたのなら、子供が亡くなったお父様かお母様のためにできるかぎり徳を積むよい行ないをすることが供養になります。ラマ(師)が亡くなられたのなら、弟子が師のために祈りを捧げることです。どのようなお葬式を行なうかは、さほど問題ではありません。」
続いて、仏壇販売の仕事をしている女性が、「法王猊下がいちばん大切にしておられる教えは何でしょうか」と質問すると、法王は、次のように答えられた。
「菩提心を育むことと空を理解することです。瞑想を通して空を理解することで、仏陀の持つ真理のおからだ(法身)を得ることができます。法身は、自分を利益します。一方で、菩提心を育むことによって得られる仏陀の形あるおからだ(色身)は、他者を利益します。この二つのおからだは智慧と方便の修行の結果として生じるものですから、「二つの真理」を理解することによって仏陀の二つのおからだを成就しなければなりません。ナーガールジュナ(龍樹)は、『宝行王正論』の中で次のように述べておられます。」
無上なる悟りの境地に至りたいと望むなら
その源は一切有情を対象とする
山の王者(須弥山)のように堅固な菩提心と
二元論を超えた智慧である
続いて、ご住職夫人の合唱グループが、観音菩薩の真言「オーム・マニ・ペーメ・フーム」を美しい歌の調べにのせて詠唱すると、散華が行なわれた。最後に、曹洞宗岐阜県青年会会長の宮崎誠道師より法王に岐阜和傘が贈られると、会場は拍手に包まれた。温かな拍手に送られて、法王はステージを後にされた。