インド、ニューデリー
ダライ・ラマ法王は今日午前、アショカ大学と国会議員のラジブ・チャンドラセクハル氏の招きで講演を行うため、デリーのインディアン・ハビタット・センターを訪問された。チャンドラセクハル氏は、カルナカタとバンガロール選挙区選出の、インド国会の上院であるラジャ・サブハの無所属議員である。アショカ大学は宿泊設備完備の大学で、教育は全人的で民主的であるべきだという創設者の教育指針を掲げている。チャンドラセクハル氏が法王を「平和と共存を支持する方」と紹介し終えると、法王は、「親愛なる兄弟姉妹の皆様」とお話を始められた。
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インディアン・ハビタット・センターで講演をなさるダライ・ラマ法王、2014年2月22日、インド、ニュー・デリー(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁) |
「私達全て、70億の人々、兄弟姉妹は皆、それぞれ母から生まれ、お互いに相互に頼りながら生き残っているのです。昔は、人々は自己充足的で、孤立したコミュニティで暮らすことができましたが、今日では、相互依存がより増大しています。気候変動や、グローバルな経済の機能は、私達全員に影響する課題を突きつけており、私達は一緒に、対峙していく必要があります。」
「ですから、『私達』や『彼ら』といった視点で物事を考えることはあまり役には立ちません。私は、自分自身を70億の人間の単なる一人であると考えていますが、もし私が、自分は他の人たちとは異なっているとか、特別だと考えれば、私達の間に隔たりを生じさせてしまいます。私達は皆、幸せな人生を送り、友人に囲まれていたいと思っており、友情とは、信頼や正直さ、心を開いていることに基づいています。これは、人類が一つである事の一面です。もし私達が他の人達を負かせば、私達も傷を受けるのです。もし他の人達が成功すれば、私達も益を得ることができます。」
ダライ・ラマ法王は、様々な宗教伝統の同じ目標へ向けた異なるアプローチについて説明された。一神教の伝統では創造主としての神を信じるが、多神教の伝統では、例えば、仏教徒やジャイナ教徒、サーンキヤ学派の一部では、自己創出を信じている。サーンキヤ学派やジャイナ教徒は、心と体はそれぞれ独立していると信じているが、仏教徒は自己というようなものは無いと言っている。法王は、これについて、自己が全く存在しないと言っているのではなく、自己は、他の要素との依存の中に存在するということだと、説明された。
神に仕える最善の方法は、他の人達に仕えることだと言う人達もいるが、また一方で、他の人達に危害を加えるよりもむしろ他者を助け、愛と慈悲の気持ちで他者を遇することも、末永く続く信頼や友情をもたらすことが明らかであると、ダライ・ラマ法王は述べられた。金持ちや権力者にひきつけられる友人は、富や権力の短期間の友人に過ぎないことが多いのである。
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インディアン・ハビタット・センターにおけるダライ・ラマ法王の講演で、法王に質問をする聴衆。2014年2月22日、インド、ニュー・デリー(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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観衆からの質問に対して、ダライ・ラマ法王は、チベット仏教はナーランダ僧院の伝統を保っており、チベット語はその深い知識を表現する最も正確な手段だと説明された。法王は、かつてナーガールジュナのようなナーランダの高僧達が書き記した書物に深く感銘を受けたことや、より最近では、非常に洗練された教育を受けたにもかかわらず、できるだけ簡素に暮らすことを選んだマハトマ・ガンジーの例から、非常に大きなインスピレーションを受けたことを語られた。物質主義への傾向のある現代教育には何かが欠けていることを指摘なさり、これには、「世俗の倫理」と法王が呼ばれているような、人間の価値、より大きな内的な価値観を導入して対抗することができるという信念を、明らかにされた。
法王は、瞑想と思いやりの訓練を受ける前に身体検査を受けた人々の実験を例にとり、暖かな心は私達の心や体の健康にも良いことは確かなことだと語られた。実験の結果、慈悲についての瞑想を毎日30分、3週間継続した後では、ストレスが減少し、血圧が低下し、人間関係の改善が見られたのである。
最後に、欲望について尋ねられ、法王は次のようにお答えになった。
「欲望は、人生の一部です。例えば、今現在、私達は皆ランチへの欲望を感じています。自然な欲望が無ければ、私達は死んでしまうでしょう。問題は、私達の欲望が多すぎるということです。ですから、私達には、充足が必要なのです。満足や充足が個人のレベルでは適切でも、国家のレベルではそうではありません。何故なら、諸国家は発展する必要があるからです。自信も私達には必要なものです。何故なら、敗北主義と低いモラルは、失敗の確実な源だからです。」
インディアン・ハビタット・センターから、ダライ・ラマ法王はまっすぐ空港へ向かわれ、ダラムサラへお戻りになる飛行機にお乗りになった。