「お若い兄弟姉妹の皆さん、」と法王は語りかけられた。「私は、ここで皆さんと共に過ごせることを大変うれしく思っています。この場をお借りして、ソマイヤ家の3世代にわたる友情に感謝を申し上げます。私は、皆さんが勉学に励んでいらっしゃることを心からすばらしいと思っています。」
「インドは、世界で最も人口の多い民主国家です。インドでは、世界の主要な宗教が平和と調和を保ちながら共存しています。生活を向上させていくには、教育が必要です。政府も教育の必要性を唱えていますが、汚職があるがゆえに、財源は目標額に達しなかったのだと思います。この学校のような私立の教育機関に果たすべき役割があることは明らかなのです。地方の農村では、さまざまな団体が効果的に力を発揮しています。私は自分の目でそれを見てきましたので、そのような団体が互いにもっと協力し合い、意見や経験を交換していくならば、互いに役立つだろう、という提案をしました。」
法王は続けて、中国は変わりつつあるが、まだ民主国家にはなっていない点を指摘された。インドには、中国の手本となれる多くの分野がある。古代文明においても、インドは最も多くの哲学者や思想家を輩出した。アヒンサー(非暴力)は、インドの長年の伝統として異なる宗教間の調和の発展を支えてきたのである。
|
ソマイヤ学校の生徒や教職員を前に講演を行なわれるダライ・ラマ法王。2014 年5 月31 日、インド、ムンバイ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
|
「そこで、過去は素晴らしかったかもしれませんが、過去のことを繰り返しているだけではいけません。私たちは、前へ進まなければならないのです。インドはインド古来の価値を土台として未来を築いていかねばなりません。そのようにして未来を築いていくならば、12億のインド国民のためになるだけでなく、アジア全体やより多くの国々に貢献することにもなるのです。かつて眠れる獅子と呼ばれた中国はもう目覚めていて、いつでもインドの競争相手になる準備ができています。インドは教育に力を入れて頑張らなければなりません。現代教育だけでは十分とはいえません。つまり、内面的価値をその基盤に組み込んでいく必要があるのです。私は科学者と対話を行なう中で、インド古来の心と感情についての深い知識を絶えず称讃してきました。私たちはインド古来の知識から学ぶ必要があります。嫉妬や欲深さといった悪い感情を、思いやりや愛といったよい感情にいかに転換していくかを教育の中で学ぶのです。健康維持には身体の衛生管理が必要であることを教えてきたように、感情の衛生管理についても教えていく必要があると思います。」
法王は、破壊的な感情によって人間の知性が悪い方向にそれることがないようにしなければならない、と強調された。そして、20世紀に台頭した暴君たちを見習うのではなく、愛と思いやりに重きをおいて簡素に暮らした偉大なマハトマ・ガンジーを見習うべきである、と述べられた。
「少年少女の若い皆さんは、21世紀を生きる方々です。大人になったら、たくさんの問題と向き合うことになります。そしてそのような問題の多くは、環境破壊をはじめ、私の世代が20世紀につくってしまった問題です。ここにいらっしゃる先生方は、子供たちの心を情報でいっぱいにするのではなく、心を開拓していく方法を教えていただきたいと思います。論理学や心理学は、率先力や創造性を育んでくれます。子供たちには、温かい心を、そして社会の他の人々に対する責任感を身につけてほしいと思います。」
|
ソマイヤ・ヴィジャヴィハー大学の講義室の一室に立ち寄られ、聴衆に挨拶されるダライ・ラマ法王。講義室は同時配信で法話を聴くために集まった人々で満員だった。2014年5月31 日、インド、ムンバイ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
|
法王の法話はキャンパス内の複数の会場に同時配信されることになっていた。法王は、法話を行なわれる会場に向かわれる途中で配信会場の一つに立ち寄られ、配信を待っていた聴衆に挨拶をされた。
法王は、『栄えあるナーランダー僧院の十七人の賢者たちへの祈願文』の解説に入られると、第一偈について、ナーガールジュナ(龍樹)が、縁起の見解という教えを説かれたことを理由に仏陀を讃えられているのと同じように、法王ご自身も同じ気持ちでこの祈願文を書かれたのだと説明された。次の第二偈では、法王は、ナーガールジュナご本人に請願され、ナーガールジュナが『中論』をはじめとする重要なテキストや哲学的な著作を残されたことを讃えたのだと説明された。『中論』はチベット語に翻訳される前、4世紀から5世紀にかけて中国語に翻訳され、中国、日本、ベトナムの仏教徒に影響を及ぼした。
第三偈は、ナーガールジュナの一番弟子であるアーリヤデーヴァ(聖提婆)への請願で、『四百論』を著されたことを讃えられた。第四偈はブッダパーリタ(仏護)への請願で、『中論』の注釈を書かれたことを讃えられた。第五偈はバーヴァヴィヴェーカ(清弁)への請願で、『思択炎』を著されたことを讃えられた。第六偈はチャンドラキールティ(月称)への請願で、顕教(スートラ)と密教(タントラ)を完成されたことを讃えられた。チャンドラキールティはナーガールジュナの思想の注釈を残され、中観帰謬論証派を確立され、さらには菩薩の実践を説かれた。これらの教えは、第七偈のシャーンティデーヴァ(寂天)に引き継がれ、『入菩薩行論』と『大乗集菩薩学論』として大成された。第八偈で法王が請願されているシャーンタラクシタ(寂護)は、中観派の思想家で偉大な学者でもあり、唯識思想を取り入れて中観思想を再編して瑜伽行中観自立論証派と称される学派を確立された。
シャーンタラクシタは、その弟子であるカマラシーラ(蓮華戒)に支えられてチベットで仏教を確立された。カマラシーラは、座禅のみが唯一の修行であるとした中国の禅僧摩訶衍和尚と問答をし、これを論破して、チベットで『修習次第』を著された。以上の学匠は深遠なる空の教えの系譜に属している。その後には、実践によるお加持を引き継ぐ系譜の学匠たちへの礼讃が続く。最初にその教えを説いたのは第十偈のアサンガ(無着)である。アサンガは唯識派を確立された。その弟のヴァスバンドゥ(世親)は『阿毘達磨倶舎論』を著され、仏教における宇宙論を概説された。ヴァスバンドゥの後には、第十二偈のディグナーガ(陳那)と第十三偈のダルマキールティ(法称)が続く。このお二人は偉大な仏教論理学者で、仏教論理学は、ディグナーガの著作と、これについてのダルマキールティの注釈に基づいて発展してきた。次の第十四偈は、ヴァスバンドゥの弟子のヴィムクティセーナ(解脱軍)で、その師をも凌ぐと称せられていた。第十五偈のハリバドラ(師子賢)は、般若経の註釈書であるマイトレーヤ(弥勒)の『現観荘厳論』と、さらにその註釈書である『現観荘厳論小註』を著された。
|
ソマイヤ・ヴシジャヴィハー大学で行われた4日間にわたる法話会の2日目、つかの間の笑いを楽しまれるダライ・ラマ法王。2014 年5月31日、インド、ムンバイ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
|
ハリバドラまでの学匠は、仏教の顕教(スートラ)と論書(アビダルマ)に取り組まれた。第十六偈のグナプラパ(功徳光)と第十七偈のシャーキャプラバ(釈迦光)は、主に律について詳しく書かれた。そして最後に、第十八偈のアティーシャは『菩提道灯論』を著され、僧院の戒律を復興され、チベット仏教の四派すべての発展に重大な影響をおよぼされた。
法王は、ナーガールジュナの『宝行王正論』について説明され、この著作はナーガールジュナの友人であったゴータミプトラ王に宛てた手紙として説かれた教えである、と述べられた。その最初の偈では、ナーガールジュナは仏陀のことを唯一の友人と述べておられる。その理由は、仏陀が苦しみの止滅に至る道とその実践の方法を明確に説かれたからである。またナーガールジュナは、利他行と空の理解において卓越しておられ、来世において恵まれた生を確実に得るには、因果の法を理解した上で悪い行ないを減らし、よい行ないを増やす必要がある、と説かれた。
法王は昼休憩から戻られると、午後のセッションは質疑応答から始めましょう、と述べられ、聴衆に質問を求められた。最初の質問者が、公邸での一日をどのように過ごされるのかを尋ねると、法王は、次のように答えられた。
「まず第一に、私は仏教僧として戒律に従って暮らしていますので、根本説一切有部の伝統である253条の戒律を守っています。先に述べましたが、私はナーランダー僧院の学匠たちの弟子の一人として、時間が許すかぎりナーガールジュナやチャンドラキールティ、シャーンティデーヴァの著作を読み、勉強するようにしています。ほぼ毎日、教えを読んで、考えて、瞑想して心に馴染ませています。私は毎朝3時に起きて5時間ほど瞑想します。それから人に会ったり、いろいろな公務に時間を使います。そして夜になると7時か7時半には床に就きます。私の修行は利他の心を培い、空を理解することが目的ですが、非常に大きな恩恵をもたらしてくれています。私は現在79歳で、人生のほとんどを難民として過ごしてきましたが、この修行が非常に有益であったと感じています。」
また法王はナーランダー大学の再興について説明され、法王が1956年にインドに来られた際にナーランダー大学の再興プロジェクトへの寄付金として周恩来氏から小切手を預かってこられたことにふれられた。1959年に法王がインドに亡命されて以降あまり進まなかったこのプロジェクトは、アブドゥール・カラーム前大統領がプロジェクトに関心を持たれたことでいくぶん進展していたが、政治的な理由によって、カラーム前大統領はプロジェクトから身を引かれた、と語られた。
次に、仏陀、仏法、僧伽にどのように帰依するのかという質問に対し、法王は、仏教徒は仏陀を師として見ているが、本当に帰依すべきは心の中に育んでいる仏法である、と答えられた。また別の質問者が、『法華経』の教えを現代にどのように生かすべきかと尋ねると、法王はまず、ご自身はその経典にはあまり詳しくないとした上で、一冊の仏典あるいは一つの祈願に浄土へと転生させる力があるという考えには懐疑的である、と述べられ、たくさんのさまざまな仏典を読むようアドバイスされた。
|
ソマイヤ・ヴィジャヴィハー大学で行われた4日間にわたる法話会の2日目、ダライ・ラマ法王に質問する聴衆。2014年5 月31 日、インド、ムンバイ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
|
また、止と観についての質問に、法王は、意識にはさまざまなレベルがあって、覚醒時の意識、夢の中での意識、深い眠りにある時の意識、失神した時、そして最も微細なレベルの意識である死の間際の意識などがある、と述べられた。そして法王は、過去55年間においても、何人かのラマは臨床的な死が確認された後もご遺体がぬくもりを失わず、腐ることもなく、新鮮な状態のままであった、と語られた。トリスル・リンポチェのご遺体も、死後23日間あるいは24日間も生き生きした状態であったので、ダラムサラのデレック病院の専門家たちが、そのご遺体に検査のための器具を取り付けに行くまでの時間が十分にあり、その結果、チベット仏教徒がタントラの修行において空を直観で見る時に必要とされる最も微細なレベルの意識の連続体としか説明のつかない脳の活動が明らかになった、と述べられた。
法王は、ナーガールジュナの『宝行王正論』第1章の説明に戻られ、残りの100の偈をスピードを上げて説かれた。法王は、六道輪廻のイラストについて、仏陀が教材として制作するよう依頼されたのだ、と述べられた。そして、中心にいる豚・鶏・蛇は、無知・執着・怒りを象徴し、輪廻には6つの存在領域があり、そのまわりに丸い縁取りがあるのは、無知に始まり、老化、死で終わる「十二支縁起」の十二の各事象が象徴的に描かれている、と説明された。
章の終わりにくると、法王は、これは難しいことではあるが、と前置きされ、法王ご自身は13歳の時から空の理解に親しまれてきたことについて語られた。そして、苦しみの源は無知であるが、苦しみを滅することは可能であるという感覚を30歳頃に得た、と述べられた。また法王は、利他の心を養うのは大変よいことであるが、利他の心は無知を晴らす対策とはならず、空を理解することが唯一の無知を対治する対策となる、と述べられた。そして、昨年すばらしいスワーミー(ヨーガ行者)に会われた話をされた。その男性は貧しい人々に食事を提供する活動をしていて、法王に、仏教とヒンドゥー教は、戒律・禅定・智慧の実践を共有しているので、いわば双子の兄弟のようなものである、と話したという。唯一の違いは、スワーミーはアートマン(永遠なる自我の存在)を信じて恩恵を得、法王は仏教の本質的な教えであるアナトマン(無我)を信じていることだが、いずれにせよ、それは個人の自由だ。
法王は、予定よりも一時間長く教えを説かれ、聴衆に「おやすみなさい」と挨拶をされて、ステージを後にされた。明朝、法王は教えを再開される。