「チベット問題にはいくつかの側面がありますが、その中でもチベットの環境破壊についてお話ししたいと思います。中国の生態学者による報告書を読んだところ、チベットは北極、南極と同等に重要な地域であると書かれており、チベットが第三の極であるとも記されていました。これは、アジアの主要な河川の源流はチベットにあり、10億人以上の人々がこの水源に依存して生きているからです。ブラマプトラ川にダムを建設すると、インドとバングラデシュの両国に影響を及ぼすというのがその例です。」
法王は、「人権侵害に関して言うと、約15年前に中国共産党書記官が、チベットの仏教と文化がチベット分離主義を形成する主な要因であったと発表し、その結果、書記官は僧院や尼僧院を強く取り締まり、その活動を厳しく管理することにしたのです。これが2008年の暴動の原因となりました」と述べられた。
「チベットにおける信仰の自由に対する侵害について、シュグデン信者たちが私に対するデモ行為を公共の場で行っていることについて述べたいと思います。彼らは宗教の自由を求めているという申し立てをしているようです。実のところ私は、以前はこの邪悪な神に対する信仰をしており、その結果、自分の信仰の自由が迫害されることになってしまいました。シュグデンの神への信仰と修行は非常に派閥主義の強いものです。黄帽派の信者の人が紅帽派の文書を自分の部屋に持っていたりすると、その人に罰を与えて危害を加えたと言われています。」
「私の師匠であったリン・リンポチェは、シュグデンを信仰してその修行をすることに強く反対されており、私がニンマ派の教えを他のラマから受けたいと申し出たときにはシュグデンの信仰だけはしないようにと警告されました。シュグデンの信仰をしないことは、実際に宗教の自由を保護することになるのです。」
法王は、中国のチベット語に対する弾圧とチベット文化を見下す態度こそが、分離主義の真の源であることを繰り返し述べられた。そして犬はたたかれると逃げるということを指摘され、犬に側にいてもらいたいのなら、愛情を持って接する必要があると言われ、次のように続けられた。「チベット人も人間であり、尊敬を持って処遇されなければ、新しいインフラなどでごまかされることはありません。チベット人は動物ではなく、苦しむのはチベット人だけではないのです。中国国旗には、漢民族を象徴する大きな星を囲む小さな4つの星として、チベット民族の他にウイグル族、モンゴル族、満州族などの存在が象徴的に表示されており、これらの民族の苦しみも同じです。チベット人は600万人しかいませんが、自分の歴史や文化に誇りを持っているのです。チベットの宗教および言語の弾圧は、深刻な人権侵害です。そして、資源の採掘には地元の多くの人が反対しており、それは、世界で最も人口の多い2つの国であり武装核保有国でもある中国とインドの関係に支障をきたしています。チベット内の軍隊の膨大な数にインドは警戒しており、チベットの状況がおさまれば、その多くは撤退することができるのです。」
|
チベット支援者たちと会見されるダライ・ラマ法王。2014年5月12日、オランダ、ロッテルダム(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁) |
別の中国人学生のグループと会見された時、法王は五台山の仏教聖地を訪問されることに関心を示された。以前五台山への巡礼を要請された時は、法王の政治活動を理由に拒否されている。法王はそれ以来、台湾の僧侶たちと話をされて、文殊菩薩ゆかりの聖地である五台山を訪問する許可が彼らに与えられた場合には、そこでナーガールジュナ(龍樹)の『根本中論偈』をサンスクリット語、チベット語、中国語で唱えて欲しいと依頼されている。仏教の究極の目的はという質問に対して、その答えは「悟り」であり、ご自身の実践は菩提心を培い、空を理解することであるとも語られた。これらを実践することで、法王ご自身の人生にも光がさすことになるのだと語られた。
中国の若者たちの間に、中国人であるという強い自己認識があることについて、法王は、毛沢東の時代には盲目的な漢族の愛国主義は認められていなかったが、最近ではそういう思想も阻まれてはいないようであると述べられた。中国国内で行われている厳しい監視行為については、13億人の中国の人民には現状を知る権利があり、それに基づいて善悪を判断する能力があると述べられ、中国の司法制度を国際基準まで引き上げることが重要であると付け加えられた。
会見の終わりに、学生の一人が立ち上がってこのように述べた。「私たちはチベットとダライ・ラマ法王に好意を持っており、チベット人と中国人は兄弟姉妹です。」これを聞かれた法王は、かつて中国人の年配の男性が息子を謁見に連れてきた時、次の世代の中国人達が自由に法王に会えるようになることを望んでいると語られたそうである。
|
オランダ議会に到着されたダライ・ラマ法王にご挨拶をする外交委員会委員長アンジェリーン・アインスク氏。2014年5月12日、オランダ、ハーグ(撮影:ジュリアン・ドンカーズ)
|
法王は午前中に、オランダ議会の外交委員会のメンバーや他の下院議員との会合のためハーグを訪問された。アンジェリン・アイシンク委員長が法王を入り口で歓迎し、挨拶をして、委員会のメンバーが待つ会議室にお迎えし、次のように法王を紹介した。
「5年ぶりに再び法王にお目にかかれて光栄です。平和と人権のための法王のご活動をこころから賞賛いたします。多くの人と共に、再びオランダへの法王のご訪問を歓迎いたします。ではご講演をお願いいたします。」
それを受けて法王は講演を始められた。「親愛なる議会のメンバーの皆様、私は子供の頃から民主制度を崇拝してきました。チベットのために政治的な役割を担う前から、友だちであった掃除係や家事係の人たちから、支配者たちによる権力の悪用、いじめやえこひいきについての噂を耳にしてきました。1951年に政治的な役割を担うことになると私はすぐに、改革を推進するために委員会を設置しました。しかし、中国政府が独自の改革を進めるため、これを承認しませんでした。1959年にインドに亡命後、チベットに民主主義を導入する取り組みを再開しました。その結果、2001年に政治指導者がチベット人民によって初めて選出された時、私は政治的立場から半引退することができました。その後、2011年の選挙の後で私は政治的指導者の立場から完全に引退したのです。
「私は民主主義を信じています。国は、指導者ではなく国民に属しているのです。オランダは国民を代表する政党に属するのではなく、オランダ人に属しているのです。」
ご自分はひとりの79歳の仏教僧侶であると法王は述べられ、この地球に住む70億人の一人であり、みなそれぞれが他の人に対して思いやりを持って接するべきであるという考えを述べられた。人間はみな母親から産まれてその愛情を受けながら育ち、これが慈悲の心の種となって私たちに備わっていることを語られた。この本来的な慈悲の心と人間としての価値観を育てることがご自身の生涯における第1の使命である、と法王は述べられた。第2の使命は、異なる宗教間の調和を促進することであり、第3の使命は、ご自身がチベットの人民から信頼を受けた指導者の立場にあることからチベット問題への取り組みの責任があると述べられた。
|
オランダ議会の外交委員会のメンバーと下院議員たちと会談されるダライ・ラマ法王。2014年5月12日、オランダ、ハーグ(撮影:ジュリアン・ドンカーズ)
|
「チベットの文化は、平和と非暴力の文化であり、全人類に対する大きな貢献ができる価値あるものだと思っています。チベットの人々のためだけではなく、チベット仏教に関心を寄せている中国の仏教徒のみなさんのためにも、チベット文化を守ることに専念しています。オランダとEUの人々は、チベットとその国民に対して何十年も前から大きな懸念を示してくださいました。アメリカ、カナダと共に、オランダのみなさんには寛大なご支援をしていただき、心から感謝しています。」
「チベットの文化は、平和と非暴力の文化であり、全人類に対する大きな貢献ができる価値あるものだと思っています。チベットの人々のためだけではなく、チベット仏教に関心を寄せている中国の仏教徒のみなさんのためにも、チベット文化を守ることに専念しています。オランダとEUの人々は、チベットとその国民に対して何十年も前から大きな懸念を示してくださいました。アメリカ、カナダと共に、オランダのみなさんには寛大なご支援をしていただき、心から感謝しています。」
委員会からの最初の質問は、中国当局との対話を再開する可能性についてであった。法王はチベット人と中国人との関係はおよそ3千年前から始まり、時には良い時期もあり時にはあまりよくなかったことを述べられた。1950年初頭、法王は、中国共産党指導部の下でより良いチベットを築くことができると考えていた共産党主席の毛沢東と会談されている。しかし1956年、1957年以降は、チベット人の共産主義者は排除され、共産党はさらに左翼よりになって柔軟性に欠けるようになった。
さらに法王は次のように語られた。「今日、新しい指導者となった習近平は実践的であり、現実的であるようです。長年にわたって、中国共産党は新しい現実に応じて行動する能力があることを示していると私は思います。」
別の質問者は、自分と同僚がチベットのためにできることはあるかとお尋ねすると、法王は前にも述べられたように、チベットで続いている深刻な環境問題と人権侵害について懸念を表明することが大切であると繰り返され、劉暁波氏に対する支援も必要であると述べられた。今でもチベットで続いている焼身自殺による抗議は、チベット人の怒りなのか、それとも絶望の表現なのかと問われた法王は「絶望です」と答えられた。
「私たちチベット人は、みなさんと同様にチベット文化を大切に思っています。現在の強制的な管理と弾圧に怒りを感じているチベット人はひじょうに多く、自らの命を犠牲にするほどの状況になっています。中国当局は、2008年に起きた抗議運動と同様に、チベット亡命政権がこの焼身抗議を扇動していると非難していますが、現実はそうではありません。これはとても繊細な政治問題となっています。」
|
オランダ議会の外交委員会のメンバーと下院議員たちと会談されるダライ・ラマ法王。2014年5月12日、オランダ、ハーグ(撮影:ジュリアン・ドンカーズ)
|
委員会のメンバーが、法王の活動源は何であるかと質問し、それに対して法王は以下のように答えられた。
「私にはチベットのために話をする自由があります。故国チベットにいるチベット人たちの精神は崇高なまま維持されており、中道のアプローチが支持されています。状況は変わりつつあります。世界の流れである民主主義と自由の傾向に中国は従わなければなりません。」
メンバーである一青年の父親が、現在6か月の息子に将来教えるべき価値観について質問すると法王はまず、ご自身は親になったことがないと前置きされた上で、以下のように述べられた。
「幼い子供を育てるという絶好の機会があなたの手中にあるのです。科学者たちは、実際に子供とふれあうことが子供の成長と、特に脳の発達に重要な要素であることを科学的に証明しています。子供に対する心からの愛情を注ぐことが重要です。私の母は本当に温かい心を持った人でした。裕福ではありませんでしたが、家族にとても優しく接してくれました。私にとって、慈悲の心の大切さを教えてくれた最初の先生でした。」
アンジェリン・アイシンク委員長が質疑応答を締めくくった。
「この議会で法王の叡智を共有していただきありがとうございました。」
明るい陽射しを受けた議会の外庭では、記者と学童たちが法王を待ち受けていた。法王はその人々と挨拶を交わされ、握手をされた。
|
エラスムス大学における「心の教育」のセミナーの始めにダライ・ラマ法王を紹介する元オランダ首相のルード・ラバーズ氏。2014年5月12日、オランダ、ロッテルダム(撮影:ジュリアン・ドンカーズ)
|
法王は昼食後、オランダの偉大なヒューマニストの名が連なる教育機関であるエラスムス大学で「心の教育」と題したセミナーに参加された。法王は、古くからの友人である元オランダ首相のルード・ルバーズ氏によって紹介された。ミュージシャンたちが法王を歓迎するために特別に作曲した曲を演奏した。司会のダニエル・シーゲルは、600人の参加者に対して「心の教育」というご講演は、法王が執筆された『宗教を超えて』の本からインスピレーションを受けたものであり、現代教育に心の持つ価値観と世俗の倫理を加えるための試みであると説明した。司会者から、世界中を訪問されている法王がこの主題についてどのようなお考えをお持ちになっているかを尋ねられ、法王は次のように答えられた。
「まず、みなさんとこのセミナーに参加できたことを光栄に感じています。特に、若いみなさんに出会うと自分も若く感じることができるので嬉しく思っています。また若い人々は将来への希望を具現化する人でもあります。60歳以上である私たちは、過去となった20世紀に属する人間です。私たちは過去の経験から何かを学ぶことはできますが、過去を変えることはできません。しかし将来は、可能性に満ちた開けた世界です。若い兄弟姉妹のみなさんは21世紀に属する人たちであり、未来を形作ってより良い世界をもたらすことができるのです。」
「暴力の時代になってしまった20世紀を繰り返してはいけません。問題が起こったら対話という手段で解決するようにしてください。暴力の行使はすでに時代遅れです。まず第一に、人類全体にメリットになることは何かという面から考えることが大切です。気候変動や世界経済などで人類全体が一つの家族としてまとまる方向に向かっています。人類は未だかつてないほどお互いに依存しているのにも関わらず、我々はまだ「私はこの国の人間である」とか「あの人は別の国の人である」などと違いだけを取り立てて考える傾向があるため、問題を作り出したり失敗したりするのです。そして、貧富の差があまりにも激しいことも大きな問題です。」
「人類は道徳的な考え方に沿って努力する必要がありますが、それが宗教的な信仰に基づくものとなると、問題も起きてきます。宗教的な観点に立つ考え方には限りがあり、だれにでも受け入れられるわけではありません。地球の全人類70億人のうち、10億人は無宗教の人たちですから、教育を通して世俗的な倫理教育を組み入れることが解決策となります。」
|
エラスムス大学における「心の教育」のセミナーでダライ・ラマ法王に質問をする学生。2014年5月12日、オランダ、ロッテルダム(撮影:ジュリアン・ドンカーズ)
|
3人の若い女性が演奏する美しい音楽に続き、質疑応答が行われた。慈悲の心に基づいて行動を起こすには勇気と自信が必要であると法王は強調され、偉大なインドの仏教の導師たちがアドバイスされている通り、実現できることとできないことを現実的に見分けることの重要さを指摘された。直面している課題を克服できる場合は何も心配する必要はなく、それを克服することができない場合もまた、心配しても仕方がない、と言われるこのアドバイスは、実用的かつ現実的である。
大学の敷地内で、法王は学生たちとともに植樹をされた。法王は植えられた木の周りに儀式用のスカーフ(カタ)をかけられ、木の成長と共に世界中で慈悲の心も成長するようにと祈願された。