宗教問題のトーク番組を持つジェーコビーン・ジーン氏は、宗教の伝統装具と僧院との関連について尋ねてから、「法王のメッセージを人々が必要としているのはなぜだと思われますか?」と尋ねた。そこで法王は、「われわれはみな人類という仲間であり、だれもが幸せになりたいと思っています。私の話を聞きに来てくれた人にはこのことをよく考えてほしいと常々伝えています。私の話が役に立つと思ったら実行し、役に立たないと思ったら忘れていただいてかまいません」と述べられた。
仏教放送のベティーヌ・フリセコープ氏は、中国において仏教への関心が復興してきていることについてお尋ねした。法王は、仏教の伝来はチベットよりも中国が先であったことを説明されて、仏教徒として中国は先輩であり、仏教全般への関心が復活しているという状況において、多くの中国人の間でチベット仏教への関心が高まっているという明らかな証拠がある、と述べられた。
アホイ・スタジアムに到着された法王は、オランダ在住の数名のゲシェと複数の招聘団体の出迎えを受けられた。法王がステージに上がられると、11,000人を超える聴衆の高らかな拍手喝采が会場に響き渡った。
「法友のみなさん、精神的兄弟姉妹のみなさん、こうしてみなさんにお目にかかれたことを大変うれしく思います。どこへ行っても私が必ずお話しすることは、われわれ70億の人間はみな、基本的に同じだということです。幸せに暮らしたいのはみな同じです。だれもが人類という一つの家族に属しているのだということを忘れてはなりません」
宗教は、創造神としての神の存在を受け入れている宗教と、仏教のように創造神としての神の存在を受け入れていない宗教の二つのグループに分けることができる、と法王は述べられた。そして仏教は、からだと心とは別個に存在する独立した自我の存在を受け入れていないことを説明された。そして、法話をする時はできるかぎり『吉祥経』をパーリ語で唱えて始めたいと思っている、と述べられ、今日は禅のグループに日本語で『般若心経』を唱えるよう促された。
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アホイ・スタジアムでダライ・ラマ法王の法話に耳を傾ける11,000人を超える聴衆。2014年5月11日。オランダ、ロッテルダム(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁)
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「現実のありようを正しく説明するために、仏教では人間の知性を最大限に使うという方法を用います。ナーガールジュナ(龍樹)をはじめとするナーランダー僧院の学匠たちもまた、論理的に考えて分析し、調査するという方法を取られました。彼らは釈尊の教えを守り、信仰や帰依の心から釈尊の教えをただ受け入れるのではなく、教えを論理的に検証することによって智慧を育まれたのです。釈尊は、悟りを開かれたあと、三つの法輪をまわされて教えを説かれましたが、その都度、弟子たちの受容力に応じた教えを説かれました。そこで一部の弟子たちには、心とからだの構成要素の集まりである五蘊とは荷物のようなものであり、人はその荷物を運ぶ者として五蘊とは別個に独立して存在している、という教えも説かれていますが、これは対機説法の教えに過ぎません」
法王は、一切有情はみな、苦しみではなく幸せを求めているのだから、苦しみや幸せがどのようにして生まれるのかを知る必要がある、と述べられた。そして、ナーガールジュナの「苦しみは、われわれ自身の行ないの結果以外の何ものでもない」というお言葉を引用された。
釈尊は、「苦しみが存在することを知り、苦しみの原因を滅し、苦しみの止滅に至る修行道を実践し、苦しみの止滅の境地に至らなければならない」と述べられている。仏教の「縁起」とは「因果の法」であり、結果は原因に依存することを意味する。しかし、原因もまた結果という存在に依存している。原因は、生じた結果から見てはじめて原因となるのである。これは、原因が結果から生じるという意味ではなく、結果がなければ原因も存在しないことを意味する。法王は、これを量子物理学の解釈になぞらえられた。
中観派は、すべての現象は客観的にそれ自体の側から存在するのではなく、他の条件に依存して名前を与えられたことによってのみ存在すると主張している。私たちは無知により、つまり、見た目と真実が食い違っていることを知らないが故に、様々な苦しみを経験しなければならない。法王はこれをアメリカ人の精神分析医アーロン・ベック氏が述べた事実になぞらえて説明された。私たちが何かに対して腹を立てているとき、その怒りの対象は完全に嫌なものとして私たちには見えているが、実際にはその90%が私たちの心理的な投影にすぎないのである。これはまた、ナーガールジュナの解説とも呼応している。
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法話会でお話をされるダライ・ラマ法王。2014年5月11日。オランダ、ロッテルダム(撮影:イェッペ・スヒルデル)
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法王は、「私たち仏教徒には二つの目標があります」と言われた。「来世において人や神としての恵まれた生を得るという一時的な目標と、解脱という最終的な目標です。私たちが輪廻から抜け出せないのは無知が根本的な原因ですが、無我の教えを理解することによって輪廻から解脱することができます。そして、功徳を積むことは、来世における恵まれた生を得るための因になりますが、これは仏教だけでなく、他のすべての宗教に共通して説かれている教えです。しかし縁起の見解は、仏教だけにユニークな教えであり、すべての現象に対する実体へのとらわれ、すなわち無知を取り除くための対策となって働くため、すべての論理的な検証方法の中の王者だと言えるのです」
法王は、悟りに達するためには、菩提心に支えられた智慧と、六波羅蜜の実践が必要であると言われた。一切智の境地に至るためには、所知障という障りを滅する必要がある。
ジェ・ツォンカパが説かれた修行道の三要素とは、出離の心、菩提心、空を理解する智慧の三つを意味する。この中で、まず最初に育むべきものは、何とかして苦しみにあふれた輪廻から解脱したいと望む出離の心である。そして、出離の心を他者にあてはめて考えたとき、自分のみならず、他者も同様に望まぬ苦しみにあえいでいることに気づき、菩提心が芽生えてくる。しかし、縁起の見解を理解していないと、出離の心と菩提心は生じない。つまり私たちは、他の条件に依存することによってすべての現象は存在しており、すべての現象はその現われのようには存在しておらず、他に依存して名前を与えられただけのものとして存在しているに過ぎない、ということを理解しなければならないのである。
午後のセッションに入ると、法王は聴衆との質疑応答から始めたいと言われた。法王は昼食休憩の間に有名なジャーナリストであるフロリス・ファン・ストラーテン氏のインタビューを受けられ、そこで法王は、中国の前向きな進展について語られた。その中には、ごく普通の貧しい農民たちが必要とするものに注意が払われるようになったことや、最近の第3回全体会議において司法改革が行なわれたことを挙げられた。法王はまた、習近平国家主席が、仏教は中国文化が再び活性化するために大きな役目を果たすものであると述べたことに言及されて、これは中国共産党の指導者が述べる所見としては興味深い発言である、と言われた。さらに法王は、それが将来的に何に繋がるのかを述べるには時期的に早すぎるが、習近平国家主席は先任の胡耀邦のように、より実用的なアプローチを採用するように見受けられると述べられた。
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法話の合間にエリカ・テルプストラ氏と談笑のひと時を楽しまれるダライ・ラマ法王。2014年5月11日。オランダ、ロッテルダム(撮影:ユルイェン・ドンカース)
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法王の昔からの知人であるエリカ・テルプストラ氏が午後のセッションに登場して、法王に謁見できたことを大変光栄に思うと述べた。エリカ・テルプストラ氏は、以前どこかで法王が、誰を法王の精神的な仲間だと考えておられるかと尋ねられたとき、一瞬考えられて、「この世界のすべての人々です」と答えられたことを思いだし、会場に集まった聴衆に向かって、「私たちの法王」を歓迎しましょうと呼びかけた。
法王はいつものように、すべての人間は精神的にも、肉体的にも、感情の面でもまったく同じであり、私たちは常にそういう認識を持つべきことから話を始められた。
「もし私たちが、すべての人間は兄弟姉妹であり、ひとつの人間家族に属するのだということを十分理解したならば、すべての軋轢や、“私たち”、“彼ら”という分け隔てをする余地はなくなるでしょう。暴力はなくなり、盗み、詐欺、搾取などもなくなるでしょう。教育関係者は、どのようにしてそのような価値観を教育に導入できるかを真剣に考えなければなりません。私たち人間は社会的な生活を営む動物であり、宗教、法律、警察などの一切を持たなくても、自分たちが生き延びていくためにともに働くミツバチのようなものなのです」
法王は聴衆からの質問に答えられながら、仏教を子供たちに紹介することを提案された。もし仏教徒の家族であれば、仏陀、仏法、僧伽について説明するのもよいと思うが、そうでない場合は、人間の心と感情について説明することの方がよりわかりやすいかもしれない、と述べられた。次に法王は、どのようにしてくつろがれているのかを尋ねられ、眠ったり、時間があるときには読書をし、大抵はナーランダー僧院の偉大な導師たちが書かれた著書を読んでいると答えられた。また、聴衆の一人が、法王は蚊をどう扱われているのかを知りたいとお尋ねすると、法王は、蚊との関係はあまり素晴らしいものではないと答えられ、聴衆から笑いが起こった。そして法王は、相手に対する感謝の気持ちを持つにはどのぐらいの脳の大きさが必要なのかを疑問に思っていると言われた。というのは、時々蚊に血を吸わせているけれど、蚊は感謝の意を示すことなく飛び立ってしまうからである、と笑われた。
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アホイ・スタジアムの法話会でダライ・ラマ法王に質問をするために列を作る聴衆。2014年5月11日。オランダ、ロッテルダム(撮影:ユルイェン・ドンカース)
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安楽死についての質問が出ると、法王は、妊娠中絶と同様に一般的には避ける方がよいが、どのような場合でもよい面と悪い面についてよく考えなければならない、と助言された。世俗の倫理観についての話を始められるにあたり、すべての宗教は愛、寛容、許し、自己規制についての教えを同じように説いていることを語られた。しかし、今日の世界では、約10億の人々が宗教に対する信仰を持っておらず、普遍的な魅力を持つ倫理観の体系、つまり、この宗教、あの宗教というような枠組みを取り払った世俗の倫理観としての道徳的な体系が必要とされているのである。
さらに法王は、気候変動の影響やグローバルなレベルでの経済はすでに国境を越えている、と言われた。政治的汚職や収賄、富裕層と貧困層の間にある大きな隔たりについての問題などを扱うには、世俗の倫理観が必要である。そこで法王は、世俗の倫理観をを普通教育のカリキュラムの中に組み込むという実験的なプロジェクトがすでに進められていることを述べられた。法王は、ご自身がこの実験的プロジェクトの結果を目にされることを期待されているわけではないが、もしそれが成功したら、21世紀に属する若者たちの世代には新しい考えかたも出現し、結果的に、本当に平和な世紀を築くことができる可能性がある、と語られた。
法王は聴衆からのさらなる質問に答えられて、心の平和は死にゆく人々にとって最も重要であり、仏陀の説かれた教えは芸術作品よりも重要である、と述べられた。法王は、他の条件に依存しない独立した自我は存在しない、という無我の教えについて、それは自我が全く存在しないという意味ではなく、心とからだの構成要素の集まりに依存して、「私」という名前を与えられただけの存在として自我はある、ということを明らかにされた。
この講演中、外の通りで抗議運動を行なっていたシュクデン信仰の支持者たちについて、法王は次のように語られた。「彼らは私に対して、“嘘をつくのを止めろ”と繰り返し叫んでいますが、私が何について嘘をついているというのか、私にはわかりません。私はこの問題について非常に率直に対処してきました」
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アホイ・スタジアムにおけるダライ・ラマ法王の法話会会場のステージの情景。2014年5月11日。オランダ、ロッテルダム(撮影:ユルイェン・ドンカース)
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次に、法王が最後のダライ・ラマになるというのは真実なのかという質問に対して、すでに1969年の初頭、次のダライ・ラマが存在するかしないかはチベットの人々が決めることだと明言している、と語られた。
最後に、気候変動についての質問について、私たちはもっと注意深く警戒するべきであるとされた上で、「明らかな暴力を目にすれば、私たちはすぐに取り押さえようとしますが、環境破壊と気候変動は目に見えないレベルでひそかに進行しているので、私たちはしばしば修復が不可能になるまで気づかないことがあるからです」と指摘された。
主催者たちは法王のご訪問に対して繰り返し感謝の意を述べた。聴衆の温かく長い拍手に送られて、法王はステージを後にされた。明日法王は、ハーグに赴かれ、国会議員たちと会見されて、「教育の核心」のセミナーに参加される予定である。