集まったジャーナリストたちを前に、法王は美しいチューリップと人間性豊かな人々の国であるオランダを再び訪問することができたよろこびを語られた。そして、ご自身の主な使命とは、愛情を土台とした内面的価値の促進を図ること、異なる宗教間の調和を図ること、平和と慈悲の文化であるチベット文化を守ると同時に世界の屋根といわれるチベット高原の壊れやすい環境を保護することの三つである、と簡潔に説明された。
質疑応答に入ると、最初の質問者は、法王が前回オランダを訪問されて以降のチベット本土の状況を尋ねた。法王は、中国政府の強硬派は現在もチベット語とチベット仏教を分離主義のおそれがあるものとみなし、取り締まりの対象としている、と答えられた。続いて、チベット人は非暴力をいつまで続けることができると思うか、という質問が挙がると、法王はチベット本土で仏教文化が失われるならば、何が起きるかはわからない、と答えられた。
「われわれ仏教徒に対し仏陀は、世間的な神々や霊的存在に帰依しないよう忠告されました。これは仏教の基本的な規律です。そしてこのような霊的存在に帰依しているも同然なのがシュクデンの信徒たちです。彼らが帰依している霊的存在の発生は17世紀で、ダライ・ラマ5世が治世しておられた頃です。ダライ・ラマ5世は、その霊的存在は害を与える悪霊である、と書き残されています。どのような害を与えるかというと、そのひとつに極端な宗派主義があります。これに対し私は、一派の利益のみにこだわらない超宗派主義を実践しています。シュクデンを信仰する人たちはこの霊的存在への帰依を理由に他の宗派の仏像や経典を破壊してきたわけですが、とりわけその標的とされたのがニンマ派です。」
「1951年のことですが、私は自分の無知からシュクデンという悪霊の怒りをなだめる修行をするようになりました。そして1970年まで続けたところで、複雑な問題があることに気づき、すぐに調査を行ないました。私にはさまざまな宗派に属する20人の先生がいましたが、一人を除いて全員がシュクデン信仰の修行をすることに反対されました。そこで私は1970年代のはじめにこの修行をやめましたが、それが人々の知るところとなったため、その理由を説明するようにしてきました。」
「ふつう私たちは、霊的存在が人間を守護しているものと考えますが、シュクデンの場合は、霊的存在を守護しようとしている人間がいるのです。シュクデンの信奉者は私に、「嘘をつくのはやめろ」と叫びますが、彼らが何を考えて嘘をついていると言っているのか私にはわかりません。このことを人々に知らせるのは私の義務です。これに対して抗議をしている人たちは、私がシュクデン信仰を禁じたと言っていますが、そうではありません。私は禁じていませんし、南インドにあるシュクデンと関係のある複数の僧院がその証人です。」
昼食後、法王は世界博物館を訪問された。法王はこの日、ヴァーホーヴェン家によって創立されたボディマンダ財団からの依頼で、礼拝堂を創設するにあたってチベットの美術工芸品の開眼供養を執り行なわれることになっていた。法王は、仏教徒は仏陀・仏法・僧伽に帰依していて、これら三宝への礼拝を行なうので、正面に仏像を飾るとさらによいだろう、と助言された。ダライ・ラマがどれほど重要な存在であれ、法王もまた僧伽の一員なのである。法王は命名の依頼に応えて、礼拝堂を「チュコル・リン」(法輪堂の意)と名づけられた。
続いて法王は聖ラウレンス教会において、北欧諸国で暮らす約2,000名のチベット人に向けて講演を行なわれた。最初に法王は、会場を埋め尽くしたチベット人たちの顔を隅々まで見渡され、次のように述べられた。
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北欧の国々に亡命中のチベット人に向けてお話しをされるダライ・ラマ法王。2014年5月10日、オランダ、ロッテルダム、聖ローレンス教会(撮影:イェッペ・スヒルデル)
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「私たちは世界の屋根といわれるチベット高原で生まれ、観音菩薩と深いご縁があると同時に、共に困難な時代を生き抜いてきた仲間です。皆さんが、私に会うためにヨーロッパ全土から来てくださったことをうれしく思います。私たちは皆、よいことも悪いことも経験してきました。私はもうすぐ79歳になりますが、25歳の時から今日まで難民として生きてきました。しかしチベット人というものは、大きな困難に直面すればするほど、決意を強くするものです。チベット本土のチベット人の精神はじつに強靭で、その勇気は驚嘆に値します。その精神と勇気をもって、彼らは非暴力を貫いているのです。私たちがチベットの文化と宗教を守るために身を捧げているのは、このチベットの遺産を決して汚してはならない、と過去において決意したからです。それから60年が経過した今も、チベット問題は生きています。そして今なおチベットに対する関心は高まっているのです。」
法王は、4年前に中国で行なわれたある調査について語られ、中国には3億人の仏教徒がいて、そのほとんどが高い教育を受けた人々である、と述べられた。そして、これまでおよそ1万人の中国人有識者に会われた結果、彼らがチベット仏教に関心を寄せていることが明らかになった、と述べられた。また、日本においてもチベット仏教への関心が高まっていることにふれて、ある日本人のご住職が、多くの日本人が『般若心経』を唱えているが、その意味を理解している人はあまりいないので、チベット仏教を通して『般若心経』の教えの意味を理解できることはすばらしいことである、と法王に伝えた話をされた。
法王は、現代科学がチベット人に教えてくれることはたくさんあるが、現代科学者たちもまた、チベット仏教がインドの伝統として受け継いできた心と感情に関する知識を学ぶことに関心を寄せている、と語られた。
「もし私たちがチベットに留まっていたなら、これまで学んできたようなことを学ぶこともなく、私たちが培ってきた智慧を世界中の人々と分かちあう機会もなかったでしょう。」
法王は、一般の人々の中にチベット仏教を勉強する人々が増えるにつれて、以前は儀式に専念していた僧院においてもチベット仏教の学習プログラムが提供されるようになってきた、と語られた。ゲルク派はもちろん、サキャ派やニンマ派も今では古典的な仏教のテキストの学習に力を入れていて、この影響はチベット本土の僧院にも広がっている。また現在では、尼僧に勉学を極める機会を与えることも奨励されていて、ゲシェマ(女性の仏教哲学博士)の試験に臨んでいる尼僧もいる。
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ダライ・ラマ法王のお話に聴き入る2,000名を超える北欧在住のチベット人。2014年5月10日、オランダ、ロッテルダム、聖ローレンス教会(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁)
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「マディヤ・プラデーシュ州バンダーラのチベット人居留地を訪問したときのことですが、チベット人学校の生徒たちが授業で身につけた問答の技術を披露してくれました。その技術を教えていたのは、1990年にチベットから逃れてインドに亡命し、ドルマ・リン尼僧院で勉学に励んだある尼僧でした。今や教える身となった彼女の努力を、私は心から称えました。ラダックをはじめとするヒマラヤ地域では、僧侶や尼僧でない人たちもグループを作って勉強しています。」
法王は、チベット人のこれまでの教育に対する取り組みを振り返られ、1959年の4月にインドに亡命したが、1960年の3月にはすでに最初の学校を亡命先に開校することができた、と述べられた。学校の設立にあたってはインドのネルー首相の力を借り、そのアドバイスに従って授業は英語で行なわれた。法王は、先日ノルウェーで会われたあるチベット人の話をされた。そして、そのチベット人は生まれはチベットだがノルウェーで大学に通い、まもなく博士課程を修了する、と述べられて、専門家の道を志すことは他のチベット人にとっても励みとなる、と称えられた。
法王は、家族で西洋で暮らすチベット人の中には自宅で英語しか使わない家庭もある、と聞いて驚かれ、最近カシミール地方のスリナガルで会われた子どもたちがじつに美しいチベット語を話していたという話をされた。そして、この子どもたちが通っている学校にはチベット語の授業があるわけではなく、両親や祖父母からチベット語が受け継がれていることを説明された。
サンスクリット語のテキストに基づく仏教論理学と認識論は、現在はチベット語でしか残されていない。チベット人が現代科学の研究に直ちに携わることができたのも、仏教論理学と認識論の研鑽を積んでいたからである。
「昨年ニューヨークを訪れた時のことですが、中国人作家のグループと話をする機会がありました。その中の二人は北京から来ていて、現在の中国は倫理に関するかぎり、5000年の歴史の中で最低水準にある、と私に言いました。そして、これを立て直してくれるものとして唯一期待できるのが仏教である、と言ったのです。また、習近平国家主席もこのほどパリで、仏教には中国文化の復興において果たすべき重要な役割がある、と述べられました。」
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聖ローレンス教会で北欧在住のチベット人に向けてお話しをされるダライ・ラマ法王。2014年5月10日、オランダ、ロッテルダム(撮影:ユリアン・ドンカース) |
法王は続けて、アメリカ在住のチベット人夫婦の話をされた。その夫婦は厨房で働いていて、野菜を洗う仕事を担当している。夫婦は仕事中、野菜の中にいるアオムシやイモムシなど小さな虫を見つけては瓶に入れておき、後でまとめて外に出してやっていた。その行動を不思議に思った同僚たちが理由を尋ねたので、夫婦は、このような虫たちを殺す必要はないのだし、小さな虫にも生きる権利があるのだと説明した。やがて夫婦は、同僚たちも彼らと同じように虫を逃がしてやっていることに気づいたという。これは、チベット人が周囲によい影響をもたらした実例である。
また法王は、何年か前には法王がどこへ行かれるにもシュクデンの支持者たちがついてきて、法王に対して抗議運動を行なっていたという話をされた。その後しばらくは、一部の中国人も同じことをした。シュクデンの支持者たちが抗議運動を再開したことについて、法王は、「ダライ・ラマは嘘をつくのをやめろ」とスローガンを叫んでいるが、真実を伝えていないのは彼らのほうである、と述べられた。
「私が講演を行なっていたときのことですが、あるシュクデンの支持者がこの問題について質問をしたので、私は、これは今に始まった問題ではないと伝えました。これは、ダライ・ラマ5世の時代に始まった問題なのです。シュクデンはトゥルク・ダクパ・ギャルツェンの化身であると言われていますが、ダライ・ラマ5世は、シュクデンは道徳的にゆがんだ祈祷の結果として生じた悪霊的存在である、と書き残しておられます。そして、助けを求めたあるサキャ派の高僧にも同じことを述べておられるのです。」
「リン・リンポチェはシュクデンを信仰することに反対されましたが、ティジャン・リンポチェはシュクデンの怒りをなだめようとしておられました。私もそうしていたのですが、1970年になって疑念を抱くようになりました。そして調査を行なった結果、シュクデン信仰をやめることにしたのです。ガンデン・ジャンツェ学堂で異常な障りが続いたとき、ジャンツェ学堂の僧たちはティジャン・リンポチェに相談しました。リンポチェはこの障りはシュクデンを守護する者たちの不満が原因であるとおっしゃいました。それでジャンツェ学堂の僧たちが私に何事が起きているのか尋ねたので、私は調査を行ない、一連の問題はシュクデンが関係していることを突きとめたのです。このことは、チャンチェ学堂から来たナムギャル僧院の僧院長に伝えました。」
「シュクデンの支持者たちは独自の集団を結成しています。」
「ダライ・ラマ13世は、あまりにも熱心にシュクデンの怒りをなだめようとするのは、三宝への帰依を侵害するおそれがある、とパボンカ・リンポチェに伝えられました。このことは、パボンカの記録文献に記されています。私も、これを人々に知らせるのは自分の義務だと思っていますが、聴きいれるかどうかは個人の自由です。私は、シュクデン信仰を禁じると言ったことは一度もありません。シュクデン信仰は私たちのためにならない、と言ってきたのです。」
「私の話は以上です。ありがとうございました。」
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聖ヤコブ教会で談笑されるダライ・ラマ法王、ユダヤ教指導者のアブラハム・ソーテンドルプ師、ユトレヒト大司教補佐のハーマン・ウーツ司教、オランダ外務大臣のフランス・ティンマーマン氏、オランダ・プロテスタント教会のカリン・ヴァン・デン・ブリューク代表。2014年5月10日、オランダ、ハーグ(撮影:ユリアン・ドンカース) |
法王がお話を終えられると、法王のノーベル平和賞受賞から25年目の年を記念して、ツェリン・チャンパとツェヤン・ラゾムからメダルが贈呈された。
ステージを降りられた法王は、チベット人たちとの会見を行なわれ、続いて、ユトレヒト大司教補佐のウーツ司教の案内の下、法王の古くからの友人でユダヤ教の指導者であるソーテンドルプ師らと共にオランダ外務大臣のフランス・ティンマーマン氏に会われ、和やかに談笑された。
明日の午前中、法王は『修行道の三要素』を説かれ、午後に世俗的倫理について講演を行なわれる。