ダライ・ラマ法王はこの日、稀覯(きこう)本の個人蒐集家でノルウェー人のマーティン・シェヤン氏から、現存するチベット語文献の中でも最古とされる『無量寿経』が収められたチベット語経典の見本を献上された。続いて向かわれたオスロ大学では、法王をお迎えするために集まっていたチベット人やノルウェー人の友人たちから熱烈な歓迎を受けられた。法王は校内に入られると、キリスト教の司教や司祭らと短い会談を行なわれ、次のように述べられた。
「宗教の役割の一つは昂った感情を鎮めることですから、宗教が火種となって紛争が起きるというのは、とりわけ哀しいことです。私は、このような事態が起きるのは、相互の交流や理解が充分になされていないことが原因であると考えています。われわれは、さまざまな宗教が平和的に共存するインドから多くのことを学ぶ必要があります。私は、2011年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロの追悼一周年行事の際に、多くの人々がイスラム教のことを好戦的な宗教とみなしている点を指摘しました。そして、ごく一部の人たちの悪い行ないだけを見て、イスラム教全体がそうであるかのように決めつけるのは間違いである、と言いました。」
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シャトーヌフ劇場に到着され、キリスト教の司祭らと語られるダライ・ラマ法王。2014年5月8日、ノルウェー、オスロ(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁) |
また法王は、異なる宗教を信心する人々と会する機会を持てることは大変うれしいことであり、光栄に思っていると語られた。ノルウェー教会の司祭で主宰を務めるヘルガ・ハウグランド・ビーフグラン氏は団体を代表して、法王への謝意と友情の証を述べた。そして、法王への賛同の言葉を述べ、より良き未来を築いていくには、異なる宗教を信心する者同士が互いへの理解を深めることが重要である、と語った。法王は、それには世俗的倫理が大切であるとして、世俗的倫理を広めるためのさまざまな取り組みについて説明された。そして、倫理はすべての宗教の土台として必要なものであるが、宗教的信仰がなくとも倫理に基づいて生きることはできる、と語られた。倫理という土台があることによって信頼と穏やかな心がもたらされ、その結果、健康と幸福も育まれていくのである。
法王は、シャトーヌフ劇場に到着されると、1,220人の参加者を前に、次のように述べられた。
「本日こうして、パーリ語の伝統である小乗仏教とサンスクリット語の伝統である大乗仏教の僧侶や尼僧、そしてキリスト教徒の兄弟姉妹が共に集えたことを大変嬉しく思っています。異なる宗教間の調和とは、単に外交的に振る舞うことではなく、互いを尊重し、敬意を深めあうことを意味します。70億というこの地球に住むすべての人々が仏教徒かキリスト教徒のいずれかになるべきだという考えは、現実的ではありません。伝統宗教は何世紀にもわたって信心されてきたのであり、それはこれからも変わらないのですから、私たちは共存していかなければなりません。本日、こうして法話をさせていただくにあたって、タイの僧侶や尼僧の皆さんにはパーリ語で『吉祥経』を唱えていただき、ベトナムの僧侶や尼僧の皆さんには母国語で『般若心経』を唱えていただこうと思います。」
開会の挨拶の中で、カルマ・タシ・リン仏教会代表は、スカンジナビア唯一の仏教寺院がまもなく完成するので、来年もぜひお越しいただいて落慶法要をお願いしたい、と法王に伝えた。法王は、もちろん執り行ないたいところではあるが、先約がいくつかあるので、スケジュールを確認したうえで改めて返事をしたい、と述べられた。
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シャトーヌフ劇場でお話しをされるダライ・ラマ法王。2014年5月8日、ノルウェー、オスロ(撮影:オリバー・アダム)
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法王は、「西洋は非仏教圏であり、仏教は基本的にアジアの伝統と言えます」と、話を始められた。「私は常々、ファッションのトレンドのように軽い気持ちで改宗するのではなく、ご自身の伝統に沿った宗教を信心し続ける方がより安全でよいと勧めています。それでもご自身にとって仏教こそが自分のためになり、効果を感じているというのであれば、個人の決断に任せたいと思いますが、いずれにせよ、宗教の実践には献身や誠実さが求められます。1960年代に私に会いに来たあるチベット人女性の話をしましょう。その女性は夫を亡くしていて、二人の子どもを育てていました。当時、キリスト教の宣教師たちはチベット人の難民たちに食糧や教育の面でじつに寛大な救援奉仕を提供してくれていました。彼女は私に、自分の子どもたちのために奉仕を受け、結果的にキリスト教に改宗してしまったが、来世では仏教徒になると誓います、と言ったのですが、これは混乱していることの表われでしょう。」
法王は、オーストラリアでの出来事にふれられて、ホームレスの支援活動をしているビル・クルーというキリスト教の牧師が法王のことを「素晴らしいキリスト教徒です」と紹介したという話をされた。そこで法王もまた、その場にいた人たちに「クルー牧師も素晴らしい仏教徒です」と紹介して、どちらも愛、思いやり、忍耐、自分が持っているもので満足すること、自己規制の修練をしていることを説明した、と語られた。
仏教は8世紀にチベットに伝来したが、それはチベットにとって智慧の灯だった。ある偉大なチベット人の師僧は、次の言葉を残している。
- チベット、この雪の国では
- 自然の色といえば白である
- しかし仏法の光がインドからもたらされるまでは
- チベットは暗闇に包まれていた
法王は、チベット仏教の智慧はすべてインドから伝来したものであり、チベットで仏教を確立したインド人師僧シャーンタラクシタ(寂護)は素晴らしい僧侶であったのはもちろんのこと、中観派の思想家であり偉大な学者であった、と述べられて、哲学と論理的検証がチベット仏教の特徴となった経緯を説明された。そのような話の流れの中で、法王は、「もちろん私も敬意を込めて仏像に拝しますが」と前置きされて、「大きな仏像を建立したからといって、その仏像が説法をしてくださるというわけではありませんね」と冗談交じりに述べられた。教えに基づいて自分の心に智慧を培うことによって、仏教の伝統は維持されるのである。法王は、チベット語で仏陀とは、滅するべき心の汚れをすべて滅してすべてのよい資質を備えた人を意味するのだと説明された。そして、仏陀は「世俗の真理」と「究極の真理」を同時に直観で見抜くことができるので、私たちのように、「世俗の現われ」と「究極の空」とのギャップに惑わされることはない、と述べられた。
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ダライ・ラマ法王の法話に聴き入る参加者。この法話会の参加者は1,200人を超えた。2014年5月8日、ノルウェー、オスロ、シャトーヌフ劇場(撮影:ズイ・アン・ファム)
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法王は、あたたかな心を持つことによって心が大きく開かれ、内面的な強さがもたらされる、と述べられて、仏教に欲求が存在してはいけないとする考えを否定された。法王は、仏教徒は欲求を持ってはいけないと考えるのは誤解である、と述べられた。私たち仏教徒にも熱望という欲求があり、幸せな人生を歩みたい、苦しみを滅して仏陀の境地に到りたいと熱望している。そして、これらの熱望を実現する権利もまた有しているのである。
そこで法王は、ゲシェ・ランリ・タンパの『心を訓練する八つの教え』のテキストを開かれ、この八つの詩頌の第七偈までは方便についての教えが説かれていて、最後の第八偈には智慧についての教えが説かれていると説明された。そして法王は、詩頌を読み上げられ、その意味を説かれた。
- すべての有情のために
- 如意宝珠にもまさる
- 最高の目的を達成しようという決意によって
- 私が常に有情を慈しむことができますように
- 誰と一緒にいる時でも
- 自分を誰よりも劣ったものとみなし
- 他者を最もすぐれた者として
- 心の底から大切に慈しむことができますように
- いかなる行ないをする時も、自分の心をよく調べ
- 自分と他者を害するだけの煩悩が
- 生じるやいなや真っ向から立ち向かい
- すぐさま力づくで退治することができますように
「私たち仏教徒の目には、キリスト教徒の兄弟姉妹の皆さんがまさにこれらの偈の実践者であり、社会奉仕に身を捧げて他者のために尽くしていらっしゃるように映ります。私は、怒りや憎しみ、嫉妬といった悪しき感情(煩悩)が生じそうになると、たとえば自分の呼吸に集中する瞑想などをして、ただちにその感情を止めるようにしています。」
- 悪い性質を持った有情たちが
- 悪行や辛苦に苛まれているのを見た時
- 貴重な宝を見つけたかのように
- 得がたいものとして大切に慈しむことができますように
「ハンセン病やエイズといった病の身にあるがゆえに差別を受けている人たちに会うことがありますが、彼らに会うたびに、何か自分にできることはないかと私も考えます。」
- 誰かが私に嫉妬して
- 罵倒し、侮辱するなどひどい目にあわせても
- 負けは自分が引き受けて
- 勝利を他者に譲ることができますように
- 私が助けてあげて
- 大きな期待を寄せていた人が
- 理不尽にも私をひどい目にあわせたとしても
- その人を聖なる師とみなすことができますように
- 要約すると、直接的にも間接的にも
- 母なるすべて〔の有情たち〕に利益と幸せを捧げ
- 母〔なるすべての有情たち〕の被害と苦しみをみな
- ひそかに私が引き受けられますように
- これらのすべて〔の修行〕が
- 世俗の八つの思惑に汚されることなく
- すべての現象は幻のごときものと知って
- 執着を離れ、束縛から解放されますように
その日の午後、法王は、「明日の世界の責任を担う世代へ」と題された学生との対話を行なわれた。テール・コールマン氏の素晴らしいフルート演奏でステージの幕が上がると、オスロ大学のオレ・ペッター・オッターセン学長による挨拶へと続いた。オッターセン学長は、法王が何十年間にもわたってチベットの顔としての責務を果たされてきたことを称えて、法王が提唱しておられるように、武器の代わりに対話と議論を用いて闘うならば、世界はよりよき場所となる、と述べた。
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オスロ大学の講堂で、学生の代表者と対話をされるダライ・ラマ法王。2014年5月8日、ノルウェー、オスロ(撮影:オリバー・アダム)
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法王は聴衆に向けて、「お若い学生の皆さんとお話をするのはいつも楽しいものです」と述べられた。そして、「私は過ぎ去りし20世紀に属する世代ですが、30歳以下の皆さんは21世紀を生きる世代です」と語られた。
「より幸せで、より平和な世界を築くには、あなた方が未来を見通す力と智慧を持って、責任を持って取り組まねばなりません。ただ祈り、願うだけでなく、他者を尊重し、他者が必要としていることをよく考えてあなた自身が行動を起こす必要があります。私たちは、今を生きている70億の人間を一つの家族として考えなければならない時期に来ています。異常気象やグローバル経済は、国境という枠組みを越えて影響を及ぼしています。貧富の差というような問題も、世界中の様々な地域が直面している問題です。」
「人間は社会生活を営んで生きていく生きものですから、他者の幸せを考えることは、長期的に見れば自分を利することにもなります。たとえばミツバチは、宗教を信心するのでも、法律や警察があるわけでもありませんが、共に力を合わせて働いています。それは、彼らが社会生活を営んで生きている生きものだからです。21世紀を生きる世代の皆さんは、このことを覚えておかれるとよいと思います。」
デヴィッド・エイブラム氏は、私たちが地球との関係をあまりにも当然のこととして受け止めていることについて雄弁に語った。たとえば私たちは、重力という魔法のような力の恩恵を受けているが、日常生活の中ではそれを忘れている。地球上で暮らしていると言うが、実際私たちは空気の中で生きているのであり、空気も私たちの社会を居場所としている。法王はこれに同意されて、インドのような途上国もまた、都市の発展だけに力を注ぐのではなく、地方の村々の暮らしを充実させていく必要がある、と語られた。
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オスロ大学の講堂で、ダライ・ラマ法王の講演を笑顔で聴く学生たち。2014年5月8日、ノルウェー、オスロ(撮影オリバー・アダム) |
続いて、4人の学生が未来についての思いを語った。その一人は、リサイクル運動を広げ、公共機関の乗り物を活用し、エネルギー削減に取り組むべきであると主張した。また別の学生は、もっと互いに協力していく必要があり、将来のためにすべきことを学校でも教える必要がある、と語った。また別の学生は、短期的な狭い視野で物事を判断する傾向が人間にはあり、そこに問題があるのではないか、と問いかけた。彼らの中でもとりわけ若い女子学生は、現在の若い世代は自分の子どもを苦難の中に送り出すことになる、と語った。そして、自分たちが尻拭いをしなければならないような結果をもたらす現行の政策に対しては、若い世代が拒否権を持てるようにしたい、として、たとえば、汚染を浄化する方法がないならば、ガソリンに依存する生活は変えていかねばならない、と語った。
法王は、総括として次のように語られた。
「問題に直面した時に大切なのは、実際に何を成し遂げることができるのか、充分に考え、評価することです。私自身もこの長い人生でさまざまな困難に直面しましたが、諦めたことはありません。」
「昔はリーダーといえば身体的な強さが基準の一つでしたから、男性のほうが優位でした。しかし教育が普及したおかげで、男女の可能性の評価はかなり等しくなってきました。環境や他者への思いやりを考えることが大切な時代ですから、さらに多くの女性たちにリーダーシップを取っていただきたいと思います。」
「ありがとうございました。」
法王は明日、ノルウェー国会議事堂とノーベル平和センターを訪問される。