京都
ダライ・ラマ法王はこの日、大阪から京都に陸路移動され、種智院大学学長であり、中山寺の管長でもある村主康瑞氏の歓迎を受けられた。種智院大学はその歴史を綜藝種智院までさかのぼる。綜藝種智院は日本の真言宗の創始者である空海(弘法大師)が西暦828年に京都の東寺に設置した各種学芸の私学学校であり、社会的、経済的地位を問わず門戸を開いた日本初の教育機関である。現在の種智院大学は1949年に現在の場所に再建された。
満場の会場で、法王はステージ上の二枚のマンダラを左右に配した大日如来像の前に着座され、法話を始められた。
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種智院大学で法話をされるダライ・ラマ法王。2014年月10日、京都(撮影:チベットハウス・ジャパン)
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「種智院大学の皆さんからチベット密教についてのお話を、という依頼をいただきました。チベット人は7世紀に、中国とネパールから妃を迎えたソンツェン・ガンポ王の時代に仏教に関心を持ちました。両妃はそれぞれ仏陀の像を持参していたので、その教えに興味を抱いたのです。後に、チベットのティソン・デツェン王が仏教はインドが発祥地であると知り、インドにより深い教えを求めたのです。ティソン・デツェン王はシャーンタラクシタ(寂護)をナーランダー僧院から招き、シャーンタラクシタがチベットで仏教を広めました。シャーンタラクシタはまた、サンスクリット語経典をチベット語に翻訳する事業をはじめ、それがカンギュル(律・経蔵)とテンギュル(論蔵)のチベット大蔵経になりました。さらに、今日でも私たちが学んでいる『中観荘厳論』と、非仏教徒と仏教徒の哲学的見解について詳しく解説された『真理綱要』を執筆されました。」
シャーンタラクシタの弟子で、シャーンタラクシタ同様、中観学と論理学に秀でたカマラシーラ(蓮華戒)が後にチベットに招聘され、『中観光明論』ならびに、シャーンタラクシタの『真理綱要』の注釈書を執筆されて、このお二人がチベットに仏教を普及させ、確立させたのである。シャーンタラクシタは、最初の比丘戒授与において根本説一切有部律(ムーラサルヴァースティヴァーダ)を確立された方であり、アサンガとナーガールジュナの思想を併せ持つ瑜伽行中観自立論証派の学者だった。
同時代に現れたパドマサンバヴァは、障りを調伏する力を持ち、シャーンタラクシタ(寂護)、ティソン・デツェン王とともに、チベット仏教の礎を築いた三大祖師として知られている、と法王は説明された。
シャーンタラクシタは戒律の修行を守られ、著書の『中観荘厳論』では、自身が空の理解と菩提心を培う修行を主に実践されたことを示されている。また別の著書『真理綱要』では、無上瑜伽タントラの修行を実践されたことが書かれており、シャーンタラクシタはナーランダー僧院の伝統の模範となった僧侶であることが明らかにされている。
戒律を土台として、「自分と他者の立場を入れ替える」という菩提心を育む方法論に基づく大乗の修行の系譜は、ナーガールジュナにまでさかのぼることができる。ナーガールジュナの著作は、般若経で明らかに説かれた空についての教えを明確に示しており、それと同時に、ナーガールジュナが無上瑜伽タントラの生起次第と究竟次第の修行をされたことを示している。法王は、ナーガールジュナの弟子のアーリヤデーヴァ(提婆)とチャンドラキールティ(月称)も、やはり同じ修行方法に従われたことを語られた。これは、チベットの仏教徒が、波羅提木叉の戒律、菩薩戒、タントラ戒の三つを維持し、守っていることを示している。
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種智院大学でダライ・ラマ法王の法話を聞く参加者。2014年月10日、京都(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁)
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法王はご自身を例に挙げて、僧侶として毎日菩提戒を更新し、空について瞑想し、毎日六つの異なる本尊ヨーガを実践されていることを語られた。
四聖諦がすべての仏教の基礎であり、それに基づいて、悟りに至る三十七の道(三十七道品)が共通の修行として説かれているが、これは密教の修行に関しても同じである。サンスクリット語の伝統である大乗の教えとしては、霊鷲山において般若経の教えが、聖観自在菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩などを含む弟子たちに対して説かれている。これは第二法輪の教えであり、すべての現象は、自性による成立を欠く空の本質をもつものであることが説かれている。般若経には私たちが唱えている『般若心経』も含まれており、これは聖観自在菩薩と舎利子(シャーリプトラ)の対話形式になっている。般若経の教えは、一般のすべての弟子たちに説かれた教えではなく、聖観自在菩薩と舎利子の対話を見聞きできるほど純粋な業(カルマ)を持つ者に対して説かれた教えである。
さらに法王は次のように説明された。公の場で行われ、歴史的な記録が残っている初転法輪では「四聖諦」(四つの聖なる真理)の教えが説かれており、第二転法輪では般若経の教えが説かれ、第三転法輪では仏性と光明の心について説かれて、その実践方法を示されているが、この第三法輪の教えが密教の実践の基礎となるものである。第二転法輪と第三転法輪は公開の場ではなく、選ばれた弟子たちだけを対象に行われており、これが歴史的に記録されなかった理由は、教義の一般的な説明ではなく、限られた弟子たちだけに説かれた説法だったからである。
法王は、ナーガルジュナやアーリヤデーヴァのような偉大なインドの導師たちは、これらの教えを論理と正しい根拠によって分析され、それをサンスクリット語の伝統、すなわち大乗(菩薩乗)の波羅蜜乗と金剛乗(真言乗・密教)の信憑性の裏づけとされている。 また、チャンドラキールティが『灯作明』の中でタントラの究竟次第の修行段階を五つに分類されており、それを次のように説明されている。
1.定寂語
2.定寂心
3.幻身
4.光明
5.双入
生起次第では本尊の観想を行なう。無上瑜伽タントラでは、仏陀の三身、つまり法身、報身、応身を修行道において実現することにより、死有、中有(バルド)、生有(再生)のそれぞれを浄化する。顕教(スートラ)の教えには、仏陀の境地に至るまでには三阿僧祗劫といわれる限りなく長い歳月を要すると述べられているが、金剛乗(タントラ)の教えでは、この人生の中で成仏することが可能であると書かれている。
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種智院大学での法話の後、村主康瑞学長に仏像を贈られるダライ・ラマ法王。2014年月10日、京都(撮影:チベットハウス・ジャパン)
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数々の質問の中で、9世紀に入滅された弘法大師は今も深い禅定に入られたまま人々を救済されているという入定信仰について尋ねられると、法王は、それはあり得ると答えられた。過去のインドやチベットの偉大な導師たちにもそういう方々がおられ、徳の高い方だけに限られるが、そのおからだを維持したまま禅定の状態にずっととどまられて有情救済をされるということはある、と述べられた。また、聖観自在菩薩の慈悲心について尋ねられると、大いなる慈悲の心と空の智慧を育む実践によって一切智の境地に至ることができるのであり、聖観自在菩薩は、『般若心経』の中で大きな役割を果たされている。聖観自在菩薩は仏陀の慈悲心の現われであり、文殊菩薩が仏陀の智慧の顕現であるのと同様である、と答えられた。
法王は最後に、「弘法大師と特別なゆかりがあるこの場所で日本の仏教徒の皆さんとお話しする機会を持てたことにお礼を申し上げます」と述べられ、学長に仏像を贈られた。
種智院大学同窓会会長であり、弘法大師生誕の地、四国の善通寺宗務総長菅智潤氏は、法王のご来訪に謝意を表し、今回の法話には様々な宗派の者が出席したが、今後も法王に、弘法大師と縁の深い本学との絆を保っていただきたいと述べ、最後に「チベットの平和と法王のご長寿をお祈りいたします」と締めくくった。
法王は、明日から2日間京都で開催される科学者たちとの対話「心の地図を描く」に出席される。