京都
この日ダライ・ラマ法王を初めに訪問したジャーナリストの下村満子氏は、テレビ番組のためのインタビューを行った。著名なジャーナリストである同氏は、メジャー週刊誌である朝日ジャーナルの初の女性編集長を務め、その後独立し、現在は作家・ジャーナリスト・テレビ解説者・講演家として活動している。一年前に日本でダライ・ラマ法王と科学者の対話が行われた際の司会者を担当した同氏は、その後の展開について法王に尋ねた。
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下村満子氏のインタビューを受けられるダライ・ラマ法王。2013年11月23日、京都(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁)
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「ご存じのように私は、古代インドの思想から派生した仏教科学と現代科学の対話が行われることを大いに歓迎しています。喜ばしいことに、ここ日本でもこの分野に興味を持つ人が増えています。物質の現代科学的理解やコスモロジーはそれ自体大変有益です。高度に進んだ古代インドの科学、特に仏教科学にみられる心の理解と現代科学が融合することは、双方に利益をもらたすでしょう。」
心がからだの健康に影響を与えることに科学者も注目し始めている、と指摘された法王は、内なる平静を伴ってくつろいでいる状態は、ただ単に身体がくつろいでいるのとは違うのだということを詳しく説明された。心配事があったり、怒りの感情がくすぶっていれば、人は本当の意味でくつろぐことはできない。リラクゼーションの鍵は心の平静である。アルコールやドラッグ、また音楽を聴くということも有効だと思われるかもしれないが、その効果は長続きするものではない。
ダライ・ラマ法王は、信仰の有無やその種類はさておき、仏教の影響を受けた文化的背景をもつ日本の科学者との対話を楽しみにしていると仰った。仏教を心の科学と位置付ける学者もいるが、法王は、現代科学と仏教のアプローチを混同するつもりはないと見解を述べられた。法王はかつての旧友フランシスコ・バレーラ氏がよく使っていたフレーズを引き合いにそのことを説明された。そして、「私はいま仏教徒の帽子をかぶっています」とか「いまは科学者の帽子をかぶっています」とバレーラ氏が表現したように、法王もまた科学者と交流する時にはなるべく科学者の帽子をかぶるようにしていると説明された。
続いて法王は、素粒子と意識の連続からなる仏教の物質的世界観について話を進められた。「ある種の意識は脳の機能に従属しています。例えば、視覚は明らかに目と脳の働きによって得られる感覚ですが、より微細なレベルの意識は違います。最も微細なレベルの意識が、いわゆる仏性と呼ばれるものです。」また法王は、「私」という概念を問うのは宗教の中でも仏教だけであり、それは微細な心とからだに基づいてただ仮に設定されたものとして捉えられている、と説明された。
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インタビューを終えた下村満子氏とダライ・ラマ法王。2013年11月23日、京都(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁)
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下村氏は、ダライ・ラマ法王が著書『宗教を越えて』で語られた世俗的な倫理観に話題を移した。法王はまず、タイトルにある「越えて」が示唆するものについて解説された。
「宗教を越えてと言っても、宗教より上のものがあると言っているのではありません。宗教とはその性格から、制限あるいは限界がありますが、その枠を超えたものを意味しています。例えば、仏教の実践は仏教徒だけのためのものであり、キリスト教の実践はキリスト教徒だけのためのものです。しかし、愛や思いやりの心、自分が持つもので満足することや自制心といった人間の本質は、どの主要な宗教にも共通しています。そのような指針となるものを世俗的な倫理観と呼んでいます」。
次に、法王が政治的責務から退いた理由について質問がなされた。法王は御幼少の頃から、民主主義実現のためにいずれそうすることを決めておられた。2011年に三度目の選挙によって民主的に指導者が選出されたのを機に、政治的責務からの引退を決意され、さらに、伝統であったダライ・ラマの政治的関与を将来的にも廃止したのだ、と説明された。「こうして私は今、一介の仏教僧侶となり、人々に幸せに生きる術を教え、どうすれば宗教間に調和をもたらすことができるかを説くことに専念しているのです。」
チベットの現状については、生活水準は向上しているとコメントされた。「しかしながら、中国政府はチベット民族を恐れ不信感を抱いており、チベット特有の言語や文字、独自の伝統文化を分離主義の証だと主張し続けています。インドをご覧なさい。さまざまな言語と宗教が共存しているが、それが国を脅かす状況はありません」
中国とチベットの関係に希望があると考えておられるか、との問いに対し、法王は、チベットを巻き込んでいるのは「真実の力」対「銃の力」の闘争であり、短期的には「銃の力」が勝っているが、将来的には「真実の力」が勝つだろう、と、これまで同様の考えを繰り返された。
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京都精華大学で講演されるダライ・ラマ法王。2013年11月23日、京都(撮影:チベットハウス・ジャパン) |
昼食後、京都精華大学に到着したダライ・ラマ法王を坪内成晃学長、赤坂博理事長、そして司会進行役を務めたレベッカ・ジェニソン教授が出迎えた。学長が体育館に集まった1,600名の職員と学生に法王を紹介し、この講話から何かを学んで欲しいと挨拶した。
法王はいつものように人々に語りかけた。「先生方、そして兄弟姉妹の皆さま、こうして皆さまと会えたことを嬉しく思います。お招きいただいてありがとうございます。私は人々との出会い、特に若い世代の人達との出会いを楽しみにしています。この新しい世紀を創るのがあなたたち若者だからです。私も含め、60代、70代の人は20世紀、つまりもう過ぎ去った、記憶として残っているだけの時代の人間です。過去は変えられません。しかし将来を創り変えることは可能です。あなたたち若い人にはより幸福な、よりよい未来を創造するチャンスがあるのです。」
20世紀、人類は大きな進歩を遂げたが、それは同時に、日本への原爆投下をはじめとする多大な苦痛をもたらした計り知れない暴力の世紀でもあった、と法王は仰った。そして、誰も望むことのないそのような暴力と悲劇を繰り返さぬために、私達は21世紀を非暴力の世紀にしなければならない、と、続けられた。
「あなた達にはそれができるのです。より幸福で平和な世紀を創っていくことが。今年この大学は創立45周年を迎えたと伺いました。教師も生徒も平等に尊重するということが、設立当初からのこの大学の理念には謳われているそうです。現在地球上には、約70億人の人間たちが生存しており、そのすべての人が平等です。この瞬間、私は話し手であり、あなた達は聞き手です。しかしそれを除けば、私達は皆同じなのです。もしここで私が仏教徒であることや、ダライ・ラマであることを主張すれば、私達の間には距離が生じます。自分を特別な人間、あるいは神聖な人間だと考えることに意味はないのです。」
人間は信仰や国籍に違いがあり、またその中でも富んでいる人とそうでない人という違いもある。しかし誰もが平穏に暮らす権利を持っているのだ、と法王は強調された。「自由とは結局この『人権』に他なりません。人間の本質は思いやりに溢れています。だからこそ他人の幸福を気遣うことで私達は自由になれるのです。
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ダライ・ラマ法王の講演が行われた京都精華大学。2013年11月23日、京都(撮影:チベットハウス・ジャパン) |
教育とはただ先生の話を聴くことではありません。自分の頭で考え、分析する力を身につけることでもあります。『わかりました、先生』と言うだけでは十分ではありません。疑問を抱かなければいけない。質問し議論することは多いに助けになります。良い先生は質問を歓迎します。創造力を発揮するには自由は不可欠です。現実的であることも必要です。うわべに惑わされることなく現実的なアプローチをしなければいけません。聞いたり読んだりしたことから次第に理解が生まれ、分析や実験を経てようやく真に考察する段階に至るのです。これは人間特有の能力の一つであり、さまざまな角度から現実を視察することが要求されます。
もう一つ重要なのは、視察する時に心がニュートラル、つまり怒りや執着にとらわれていない状態でなければいけない、ということです。怒りや憎しみが恐れを導く一方で、慈悲心や他人を思いやる心は自信を導き、さらに信頼と友情を育みます。」
法王は、慈悲心が特に宗教に根差したものではなく、その根拠は生物学的なものである事、私達は誰もが母親の愛を受け生まれながらに愛情を持っている事を説明された。「人間は誰もが他人に愛情を示すことができるはずですが、物質主義社会で生活するうちに、そのような人間のよい本質は埋もれてしまう傾向があるようです。常識や日常的経験、そして科学的研究結果をもとに、人間の本質を発揮させる能力が人間にはあります。」
そして法王は、最近フィリピンを襲った災害で、助けを必要としている人々に皆が力になろうとできる限りのことをしたことを挙げ、人のよい本質がいかに目覚めるかを示す一例だと述べられた。未来に希望はあるか、という学生の問いに法王は、「あります」と答えられた。「人間性はますます成熟しつつあるようです。科学者は人間の内面的な価値、つまり、心と感情の研究に注目するようになってきました。平和を希求する声と環境保全への関心も高まっています。」
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ダライ・ラマ法王に質問をするために並ぶ学生達。2013年11月23日、京都(撮影:チベットハウス・ジャパン) |
将来の身の振り方について悩む若い女性が法王の目にとまった。法王は、人生を通じてありとあらゆる困難に直面してきた78歳の老人から何かを学ぶことはできないだろうか、と、その女性に語りかけた。「知恵を最大限に使いなさい。そして他者へのあたたかい心を育むのです。そうすればあなた自身の生活は日に日に良いものになっていくでしょう。無力感に屈してはいけません。あなたは若い。この新しい世紀を創ることができる人の一人なのです。大切なのは他の人を助けるために出来る限りのことをし、他者を傷つけないように心がけることです。これが後悔の原因を作ることなく自信をつける方法です。正直に生きていれば信頼と友情が生まれます。もちろん上手くいかない時もあるでしょう。それもまた然り。チベットにはこんな諺があります。『9回挫折したら、9回起きあがる』」
他の質問に答えてダライ・ラマ法王は、世の中は互いにおおいに依存しあっており、昔のような敵を倒して自らの勝利を得るような考え方をしていると結局は自分にも害が及ぶことになる、と仰ると、この世紀を暴力ではなく対話の世紀にすることの必要性を強く訴え、完全な非武装化を目指すべきだと提言された。また同時に、国防費削減による余剰を、義務教育後の教育や医療、貧富の差の緩和のために役立てることもできよう、とも述べられた。
夢を確実に切り開いていく方法を知りたいという学生に法王は助言をされた。「分析しなさい。現実的に考えなさい。何か決断を下す時にはまず状況を調べ、検討し、他の人の意見を仰ぎなさい。時に私達は衝動的に決断を下して、実行する時になって躊躇したりしますが、結論に達したらそれをやり通すことです。現実的に考え、分析し、決断したらそれをやり通す努力をするのです。」
最後に、質問をした学生たちが壇上に上がり、ダライ・ラマ法王に美しい花束を手渡した。法王は彼等に微笑みかけ一人一人と握手をし、写真撮影に応じられた。法王はチベットのしきたりに則り、学長、理事長そして司会進行役にカタと呼ばれる白いスカーフを贈り、会場を埋め尽くした笑顔の人々に一礼し、手をふってわかれの挨拶をされた。