愛媛県 新居浜
穏やかな秋晴れの一日、ダライ・ラマ法王は終日基本的な仏教の概念について熱心に語られた。午前中は『般若心経』についての法話が行われた。開演20分前、法王は力強い足取りで会場に到着された。会場のおよそ400名の人々と共に『般若心経』を唱えられた後、法王は『般若心経』の真髄を語り始められた。
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『般若心経』について話されるダライ・ラマ法王。2010年11月10日、愛媛県新居浜(撮影:チベットハウス・ジャパン) |
法王はまず三つのレベルの苦しみについて解説された。第一は苦痛に基づく苦しみ(苦苦)、第二は変化に基づく苦しみ(壊苦)、そして第三は遍在的な苦しみ(行苦)である。変化に基づく苦しみとは、普段私たちが幸せだと思っている汚れた類の幸せのことであり、そのような幸せはいずれ苦しみの本質に変わってしまうものなのでこのように呼ばれる。
遍在的な苦しみとは、煩悩とそれに影響されてなした行ないの結果としてこの輪廻に生まれたということであり、本質的に常に苦しみが存在することを意味している。
「思いやりの心や愛、寛容を通じて苦しみを断つことはできません。正しい智慧を育み、すべてのものの実体にとらわれている間違った考え方を断ち切ることが必要です」と法王は述べられた。仏陀が説かれた苦しみを断つための実践方法は基本的に3つに分けられる。
それらは、戒律、禅定、智慧の実践であり、『般若心経』の教えは智慧の実践である、と法王は言われた。法話を終えられた法王はホテルの最上階で昼食をとられ、新居浜を囲む丘が見渡せる窓からは11月の明るい陽射しが差し込んでいた。
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ダライ・ラマ法王の法話と講演を聞く、400名の聴衆。2010年11月10日、愛媛県新居浜(撮影:チベットハウス・ジャパン)
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午後は同じ会場で空に関する法話が行われた。午後も数分早くお話を始められた法王は、次第に話題を複雑な哲学的内容に掘り下げていかれた。他人を目の前にして、その人を敵と見るか味方と見るか、私たちはそういう相対的事実に囚われることがあるが、大切なのはものの本質に目を向けることだ、と法王はチベット語で説明された。「空というのは何もないこととは違います。私たちが『私』という時、その私はいったいどこにいるのでしょうか?『私は具合が悪い』『私は元気だ』などという時、私たちは一体何をさして『私』と言っているのでしょう?」
同様に、私たちが花を見る時、私たちは花びらや茎などその一部分だけに目を向ける。仏陀の像を目の前にしても同じことだ。「朝起きたばかりの時、意識が明瞭な時を選んで『自我』について、自分の心について、よく観察してみてください。空の理解は、実体がないのに、実体があるかのように錯覚している間違った見解を滅するのに大変役に立ちます。そして空を理解すれば、苦しみにあふれた輪廻の生から解脱することが可能になるのです」と法王は語られた。
講演を終えられると、法王は輝く夕日の中をご滞在先のホテルへとお帰りになった。