長野(チベットハウス・ジャパン記)
ダライ・ラマ法王は今朝、多田等観師を偲んで1962年に建立された仏塔を訪れられた。多田等観師はダライ・ラマ13世の治世であった1913年にチベットを訪れ、チベットで10年間学んだ後に数多くの仏典を日本に持ち帰った日本人僧侶である。
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多田等観師の仏塔を訪れられたダライ・ラマ法王。2010年6月21日、長野(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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法王は続いて西方寺を訪問され、新たに建立された約2メートル50センチの阿弥陀如来像の開眼法要を行なわれた。この仏像の建立は、西方寺の金子英一住職の計画によるもので、チベット人の仏師とその弟子たちが西方寺に滞在して作り上げた。法王は開眼法要の中で次のように述べられた。「私たちは皆、心に仏性を持っています。しかし、仏陀の境地というものは修行を通してのみ得られるのであって、自らの努力なしに仏陀が叶えてくださるものでも、祈るだけで得られるものでもありません。」
法王は、西方寺で行なわれた法話会で、300名を超える僧侶と信徒たちに向けて「四聖諦」(四つの聖なる真理)について説かれた。
法王は、「四聖諦」(四つの聖なる真理)の基本的な教義からその細部に至るまでを詳しく説かれ、正しい理解を培うことの大切さを語られた。そして参集した人々に向けて、日々の仏教の修行として『般若心経』を唱え、祈りを捧げるのはよいことではあるが、それ以上に大切なのは仏典を勉強し、その意味を理解することである、と助言された。そして、「祈るだけでは無知を滅することはできません。無知とは何かを知り、智慧を育んで真実を見ることで無知を滅することができるのです」と説かれた。
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西方寺で法話をされるダライ・ラマ法王。2010年6月21日、長野(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁) |
聴衆の一人が仏教を学ぶのに最も適した言語をお訊ねすると、法王は、母国語で学ぶのが最も適しているので、法王にとってはチベット語で学ぶのが最もよいとした上で、次のように語られた。「とはいえ、ナーランダー僧院のサンスクリット語の伝統に基づく大乗の教えに関する限り、チベット語が最も適した言語であるといえます。シャーンタラクシタ(寂護)、ナーガールジュナ(龍樹)、ディグナーガ(陳那)、ダルマキールティ(法称)をはじめとするインドの大学匠が書かれた論書に経典をあわせると、300巻以上がチベット語に翻訳されています。これほど多くの仏典は、チベット語以外には残されていません。」
続いて、世界平和のために日本人ができることについてひとりの若者が質問すると、法王は、日本は第二次世界大戦で非常に辛い経験をしたので、その苦しみを転じて世界平和に向けた動きを率いていける立場にある、とした上で、次のように語られた。「武装解除はもちろんすばらしいことです。しかし、それ以上に大切なのは、心の武装解除です。つまり、あなたのような日本の若い方々が世界のリーダーとしてこれを実現していく必要があると思います。」
午後、法王と随行団は金沢に向かわれた。金沢では、チベット難民支援グループの佛性会の主催による法話会が行なわれ、法王は、2,000名以上の参加者に向けて『般若心経』を説かれる。