沖縄県那覇市
法王は日本での最終日となる6日の朝を、6つのインタビューに充てられた。その朝はきらきら光る青い海と美しい緑が窓の外に広がっていた。5つは日本の報道機関で、1つは国際的テレビ局だった。
ある時点で法王は、ちょうどベルリンの壁の崩壊に居合わせた時のことを思い出された。恐れと興奮の入り交じった気持ちで、かつて禁じられていた東ベルリンへ足を踏み入れ、歴史的瞬間の写真を撮り、倒れゆく壁にキャンドルを捧げた。思い起こせばその数ヶ月前には、あんなに突然、平和的に変化が訪れるとは誰も思っていなかったのだ。
インタビュアーが次々と中国政府との対話について質問すると、法王は、「私たちはいつでも中国政府と対話する準備ができています」と強調された。そして、中国も今ではずいぶん開かれてきて、30年、40年前には想像できなかったほど、人々が自由に意見を述べるようになったことに触れられた。しかし、チベット問題は法王ご自身の問題ではなく、600万のチベット人の問題であり、自分は本土に住むチベット人たちを代表する自由な発言者にすぎない、と語られた。
国民総幸福量(GNH)についての特集を準備しているあるテレビ局が、強欲や幸福、欲望について次々に質問すると、法王はそれに熱意を持って応じられた。法王は、「人々が危機によって傷を受けたことには悲しみを感じますが、時々、危機は人間に他の価値が必要だと教えているのではないかと感じることもあります。物質的価値には限りがあり、不確かなものだからです」と語られた。
「しかし、欲望自体は悪いものではありません。欲望は自分が生き延び、成功を遂げる力になるからです。悟りの境地を得たいという欲望は、私たちを成功に導いてくれます。欲望がなければ進歩はありません。ただし、それは現実的な欲望でなければなりません」と述べられて、強欲は資本主義だけの作用ではない、と強調された。資本主義は真の自由や、司法の独立、出版の自由、民主主義をももたらすものである。
次のインタビュアーから今世紀を定義するよう求められると、「20世紀は時に流血の世紀だと言われますが、21世紀は対話の世紀にするべきだと思います。もし対話に失敗しても、悪影響はありません。けれど武力を行使すれば、たとえある成果を得たとしても、何らかの悪影響が残ります。イラクのようにね」と答えられた。1人が殺されれば、10人が精神的に傷つくのだ。
これまでに出会った中で最も印象的な指導者はとたずねられると、法王は即座に毛沢東の名を挙げられた。「1954年、1955年と、私たちはある種の親密さを育てていました。毛主席は私を息子のように思ってくれていましたし、度々彼の自信に満ちた指導力に、心から感嘆することもありました。同時に、一国の革命のためだけでなく、世界を変えようという賢明なビジョンが感じられることもありました。」
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ご滞在先のホテルから空港に向かわれるダライ・ラマ法王。2009年11月6日、沖縄県那覇市(撮影:チベットハウス・ジャパン)
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沖縄の招聘者たちと最後の昼食をともにされ、窓から広く青い海の見える部屋でパイナップルと魚の郷土料理を楽しまれた後、法王は島を離れてインドへ帰られる前の一晩過ごされるために東京へ戻られた。
初めて訪れた場所とのつながりを持たれたことと、戦争と死の記憶に囲まれた場所で平和への考えを新たにされたことで、法王は何度も、「沖縄での短い滞在はとても意義あるものでした」と語られた。
法王のご来日はこの4年間で4回目となるが、来日されるたびに、仏教徒や、講演に集まる何千人もの一般の日本人との自由なコミュニケーションが高まっているようである。彼らは医者が往診に来たかのように、自殺や鬱、家族や社会との断絶について法王に質問をするのだった。
勉学に励むように、というのは法王が仏教徒たちに繰り返されているメッセージだが、日本の国民全体に対しては、英語を学ぶようにと伝えられた。英語を身につけることにより、日本人の持っている知識と能力を使って世界に貢献することができるからである。