沖縄県那覇市
ダライ・ラマ法王は日本ご滞在6日目の5日朝、海の前でゆらめく「平和の火」の前に立たれた。周囲には一連の壁が光を反射して立ち、第二次世界大戦中、この島で命を落とした24万人の名前が「平和の礎」として刻まれていた。
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沖縄祈念公園で戦没者の氏名が刻まれた「平和の礎」の前を歩まれるダライ・ラマ法王。2011年11月5日、沖縄県那覇市(撮影:チベットハウス・ジャパン)
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その日、法王は何度も、アメリカ人やイギリス人の兵士たちの名が日本人とともに壁に刻まれていることを称賛された。なぜなら、彼らもまた、日本人と同じように苦しんだ一人の人間だったからである。
沖縄平和祈念公園に集まった聴衆の輪の前で、法王は次のように語られた。
「人間の歴史の中では、利害の不一致は暴力や戦争によって解決できるという信念のようなものがありました。しかし20世紀の後半、ベルリンの壁は暴力ではなく、民衆の平和的運動によって崩壊したのです。それに、暴力という手段に訴えれば、常に予測できない悪い結果を招くものです。日本は、原子爆弾による苦しみを受けた唯一の国として、過去の大きな苦しみを踏まえて、平和運動の先頭に立つべき国だと思います。」
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沖縄平和祈念公園の中央にある「平和の火」の前でスピーチをされるダライ・ラマ法王。2011年11月5日、沖縄県那覇市(撮影:チベットハウス・ジャパン) |
その後、沖縄平和祈念堂において、世界平和祈念の象徴である大きな像の前で、5名のチベット仏教僧と共に祈祷を行なわれた。
「他人を助ければ助けるほど、
私たちは幸せになります。自分自身のことを考えれば考えるほど、苦しみは増すのです」。祈念堂に集まった人々への短いスピーチのなかで、法王はこのように
語られた。
ホテルに戻られると、沖縄テレビの長いインタビューを受けられた。たとえ物質的に億万長者になったとしても、内面的には貧しいということもありえることに
ついて語られ、沖縄へのメッセージを求められて次のように述べられた。「物質的に快適な暮らしを享受している時は、内面的な心の資質にもっと注意を向けな
ければなりません。」
主催者たちとホテルで昼食をとられた後、法王は那覇市内の沖縄武道館へ向かわれた。
そこではモンゴル人の横綱朝青龍と面会され、黄色の儀式用スカーフ(カター)を捧げられた。満場の聴衆は法王の沖縄ご訪問を心から歓迎し、一言ごとに熱狂的な拍手を送っていた。
法王は聴衆に向かって、「英語を話せる人は?」と質問された答えとしてかなりの手が挙がったのをご覧になると、英語で「平和と慈悲の心」についての講演を始められた。
「16歳のとき、私は自由を失いました。24歳で国を失いました。それからの50年、私は亡命者として生活してきました。そしてその間に、多くの悲しい
ニュースが私の元に届きました。けれども、この50年は人生の中で最高の時でした。様々な人々と出会う多くの機会を得ました。異なった宗教、異なった分野
の人々、その中には科学者、ビジネスマン、指導者、政治家、一般の人々、物乞いさえいました。」
法王はご自身の経験から、苦しみを乗り越えて幸せな生活を手に入れたいという願いをもっているという点で、私たちはまったく同じひとりの人間であるということを理解するに至ったと語られた。
「慈悲の心は、宗教的な生活を送ることとは関係がありません。慈悲の心は、宗教よりもっと基本的で本質的なものなのです。宗教がなくても善い人にはなれます。けれど、慈悲の心がなければ、善い人にはなれません。」
「感情は、外面的な世界にある物質と同様に、時には役立ちますが、時には大きな害にもなります。ですから物質と同様に慎重に扱わなければなりません。役に
立つよい感情を高め、害を与える悪い感情を取り除くようにするのです。科学者たちは、平和で慈悲に満ちた心は健康にもよい影響があるということを研究結果
に基づいて発表しています。しかし、慈悲は憐れみとは違います。それは、敬意から来る心からの気づかいなのです。」
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ダライ・ラマ法王が「平和と慈悲の心」と題する講演をされた沖縄県立武道館。2011年11月5日、沖縄県那覇市(撮影:チベットハウス・ジャパン)
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さらに法王は、慈悲の心を持つことは他人のためになるだけではなく、何よりもまず自分のためになる、と語られた。慈悲の心を持てば、自分がより幸せになり、満ち足りた気持ちになれるからであり、だからこそ、私たちは愛と思いやりを育まなければならないのである。
講演の終わりに、法王は次のように語られた。
「千年くらい前、物質的世界について教えるために教育機関がつくられ、倫理観を教えるのは教会や家族の役目でした。しかし現在、教会の影響力は弱まり、家族というシステムは崩壊しつつあります。誰も倫理を教えようとはしません。ですから今、心や思いやりについて教えられるのは教育機関だけなのです。」
法王が会場からの質問を促すと、ホールの前方には若者たちを中心に長い列ができた。法王がそれぞれの質問に答える間、聴衆は静かに座って聞いていた。1人の若い女性が、夢が打ち砕かれた時はどうすればよいかとたずねると、法王は次のように答えられた。
「どんな計画に取り組む時も、自分が立てた目標について分析してみなければなりません。時には、始めからその目標が現実的でないことがあります。それでは目的を達成するのは難しいでしょう。私たちは、自分の願いが現実的なものであるかどうかを色々な側面から調べてみなくてはなりません。」
また、子供との関係に悩む女性からの質問には、「どんな場合でも小さな食い違いは起こりますが、広い視野で見てみれば、それは深刻なことではないと分かります。全体的に見れば、他の人と協調していることも多いのです」と答えられた。
法王は、沖縄が受けてきたあらゆる苦しみや、米軍基地との難しい関係を理解した上で、原爆を落としたアメリカを許す日本の寛容さと、アメリカの指導者を快く迎える今日のドイツに対する称賛をあらためて強調された。そしてもう一度、沖縄平和祈念公園について、かつての敵国の兵士の名を一緒に刻んだ日本人の心の広さを称えられた。
最後に法王はこのように講演を結ばれた。
「自分の国や国民への愛を持つのはよいことです。しかし、現実的であらねばなりません。極端で過激な愛国心はよいものではありません。私たちは、全世界を"私たち"として考えるべき時がきています。」
法王が話し終わられると、聴衆は立ち上がり、ある者は口笛を吹き、ある者は賛同の叫びを上げた。日本の南端の島にも、大きな一体感への種が撒かれたようだった。沖縄は世界の一部であり、世界は沖縄の一部であると、法王はこの日何度も聴衆に語られた。許すことは、自分自身に向ける優しさの一つの形だと言ってよいのである。