四国
日本ご滞在の3日目、ダライ・ラマ法王は東京から四国の高松に向かわれた。青空と雨雲が混ざる「狐の嫁入り行列」が見られそうな日であった。
四国は、日本真言宗開祖の弘法大師空海の業績を称え、弘法大師ゆかりの札所八十八箇所を巡礼するお遍路さんの霊場巡りで有名である。
法王はまず、弘法大師生誕の地である善通寺を訪問された。善通寺は、804年に唐に渡った弘法大師が、帰国後約6年をかけて建立された寺である。
弘法大師は留学先の唐から多数の経典やマンダラ、印相などとともに、チベット仏教とも接点の多い密教を持ち帰られた。善通寺は真言密教の総本山である。
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善通寺の法主樫原禅澄師とダライ・ラマ法王。2009年11月2日、香川県、善通寺(撮影:チベットハウス・ジャパン) |
善通寺では、法主の樫原禅澄師が法王をお迎えになり、本堂で読経が行われた。法王は樫原禅澄師に、善通寺とその歴史について、殊にご本尊の薬師如来につい
てお尋ねになり、ひとときを歓談されて過ごされた。法王もチベット仏教の問答修行について説明され、次のように語られた。
「私は最近、問答という古い伝統に再び注目するようチベット人たちに強く勧めています。もちろん最初は、この弁証法の対象は仏教に関することにとどまるでしょうが、例えば現代科学をはじめとして、仏教以外の分野にも少しずつ広がっていくとよいと思っています。」
手の込んだ善通寺の昼食を召し上がり、境内にある建物をご覧になった後、法王は車で約1時間移動され、新居浜市にある萩生寺を訪問された。
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高野山真言宗管長・総本山金剛峯寺座主の松長有慶猊下(左)と萩生寺住職の齋藤友厳師(右)とともにくつろいで対談されるダライ・ラマ法王。2009年11月2日、新居浜,萩生寺(撮影:チベットハウス・ジャパン)
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強い風の吹く曇り空の午後、現地に到着された法王を日本人、中国人、モンゴル人、西洋人など大勢の人々が出迎えて、「タシデレ!」(こんにちは)と叫びながらチベットの国旗を振って歓迎した。
法王はまず、その日初めて公開されたチベット式仏塔の開眼供養に臨まれた。そして寺の中に入られて、法王は他の住職たちとともに『般若心経』を唱えられ
た。
その後、高野山真言宗管長・総本山金剛峯寺座主である松長有慶猊下と四国4県の仏教会代表とともに簡単な記者会見が行われた。
その後法王は別室で、高野山真言宗管長・総本山金剛峯寺座主の松長有慶猊下と活発な討論をされた。
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世界平和を祈念して建立されたチベット式仏舎利塔の開眼供養の式典。左から萩生寺住職齋藤友厳師、ダライ・ラマ法王、高野山真言宗管長松長有慶猊下。2009年11月2日、新居浜、萩生寺(撮影:チベットハウス・ジャパン)
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法王は初めナーガールジュナと弘法大師についていろいろ質問されていたが、そのうち明らかに楽しまれているご様子で、松長猊下との論理的な討論に入っていかれた。
「ここにある茶碗に心があるとしましょう。この茶碗に罪を犯すことはできるでしょうか?」「では一房の髪に心はあるのでしょうか?」「生物とは何でしょ
う?無生物とは何でしょう?これらのものに命が宿っていたとしても、果たして心はあるのでしょうか?もしそうだとすると、昼にお茶碗2杯のご飯を食べた私
は、300粒の米の命を奪ってしまったということになるのでしょうか?そうだとすると、これから私は石を挽いて食べなくてはならなくなってしまいます
ね!」
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ダライ・ラマ法王の亡命50年目、ノーベル平和賞授与20年目の年に四国を初めて巡錫されたダライ・ラマ法王と四国仏教会の一行。2009年11月2日、新居浜、萩生寺(撮影:チベットハウス・ジャパン)
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法王は大変満足されたご様子で、このようにくつろいで哲学的な問答を楽しめることは少なく、今回その機会を作ってくださった四国仏教会と松長猊下に大変感謝していると伝えられた。そして、滞在先のホテルに向かうため萩生寺を後にされた。