インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
モンスーンによる多大な影響が続くダラムサラであるが、マクロード・ガンジのツクラカンには今日、ダライ・ラマ法王の法話を聴くために東南アジア諸国から8千人以上の人々が集まった。この法話会には、シンガポール、マレーシア、香港、インドネシア、タイ、ベトナム、韓国から合わせて1,500人にのぼる様々なグループの仏教徒たちが参加している。法王は聴衆と導師の方々、来賓に対して挨拶をされてから法座に着かれた。
法王は次のようにお話を始められた。
「今日はこれから、毎年行われている東南アジアグループ主催の法話会を行いますが、その前に新しいガンデン僧院座主就任のお祝いがあります。ジェ・ツォンカパの法座を受け継ぐ者は、学識と修行の両面において善き徳性を備えていなければなりません。ガンデン僧院座主の候補は、ギュメまたはギュト密教大学の僧院長を務め、ガンデン僧院副座主のジャンツェ・チュージェ(ジャンツェ学堂法主)かシャルツェ・チュージェ(シャルツェ学堂法主)に昇格した者がなります」
第104代ガンデン僧院座主に就任したロブサン・テンジン・リンポチェはセラ僧院ジェ学堂ツァンパ学寮の出身である。リンポチェは伝統に乗っ取ってマンダラ供養を行い、ジェ・ツォンカパと二人の弟子の彫像を法王に献納した。そして特別に用意された法王の右側の法座に着座した。
最初にタイの僧侶たちが『吉祥経』(マンガラスートラ)をパーリ語で誦経し、続いて中国語で『般若心経』が唱えられた。
法王は、今回、ナーガールジュナ(龍樹)の『根本中論頌』の註釈書である『ブッダパーリタ註』を説くにあたり、主に読んで聞かせるという口頭伝授の形式で進めていくことを伝えられた。法王はこのテキストと、同じく『根本中論頌』のチャンドラキールティ(月称)による註釈書である『中観明句論(明らかな言葉)』の解説の伝授を、前ガンデン座主リゾン・リンポチェから受け、ナーガールジュナの『根本中論頌』の解説をツェンシャプ・セルコン・リンポチェとクヌ・ラマ・リンポチェから授かったことを告げられた。そしてクヌ・ラマ・リンポチェは、時にサンスクリット語版のテキストを用いながら要点を明らかに説明された、と述べられた。法王は、法話会のために主催者が『ブッダパーリタ註』の各国語に翻訳されたテキストを用意したことを満足げに語られた。法王は、ご自身もこのテキストの説明に最善を尽くすが、参加者も聴いた内容を何度も読んで復習しなければならない、とアドバイスされた。
法王は、法話に入る前に仏教概論として、仏教はインドに発祥し、パーリ語の伝統とサンスクリット語の伝統から成り、ほぼアジア全域に広まったことを述べられた。チベット仏教のルーツはナーランダー大学にあり、釈尊の教えは、自分で調べ、分析することを推奨していることにおいて他に類をみない教えであると語られた。
法王はまた、現在の世界状勢について以下のような所感を述べられた。
「私たちは平穏な環境を享受し、ここに集うことができましたが、一方、他の地域においては、人間同士がお互いに殺しあい、家族が貧困にあえぎ、子供が飢えて死んでいく、という状況にあります。テレビでは毎日のようにそのようなニュースが流れています。現在、洪水による被害と戦っている方たちもおられますが、そのような自然災害に対して私たちができることは少ないかもしれません。しかし、それ以外の多くの問題は、私たち人間が自ら作り出したものです。執着や怒りという煩悩に打ち負かされ、心を制御することができないため、このような事態を招いてしまっているのです」
「怒ることが人間の本質的性質であるならば、怒りに対してできることは何もないでしょう。しかし、人間の基本的な性質はやさしさであるという証拠を、研究結果として科学者たちが報告しています。今を生きる70億の人々はすべて、お母さんのお腹から生まれ、お母さんに世話をしてもらって大きくなりました。このように他の人の力によって生まれ育った私たちは、生物学的に愛とやさしさの種をもっていて、その種を育てることが可能なことが分かるでしょう」
「そして、ネガティブな状態の心には過失があることを理解するならば、私たちはそれを自ずと避けるようになると思います」
「私の第一の使命は、ひとりの人間としての立場から、より平和で思いやりに満ちた世界を築くことです。そして伝統的な宗教は、哲学的な見解は様々であっても、皆愛と思いやりを説いていますので、私の第二の使命は異なる宗教間の調和を図ることにあります」
法王は約40年間続けられてきた科学者との対話について言及された。最初、科学者たちのほとんどは、心とは単なる脳の働きであるとみなしていたが、20世紀の終わり頃に、神経科学者たちが、心の動きが脳に変化をもたらす可能性を認め始めた。そこで法王は、古代インドの伝統では、高められた一点集中の力である「止」(シャマタ)と鋭い洞察力である「観」(ヴィパッサナー)を通して心の働きについての深遠な理解を蓄積してきたことを示され、仏教徒は正に心の変容を起こすために知性を使うことに焦点をおいている、と説明された。そのような仏教哲学の伝統はチベットにおいて生きて継承されてきたのである。
法王は19世紀の導師であるニェングン・スンラブの言葉を引用された。ニェングン・スンラブは、仏教を一般的な教えと個別に説かれる教えの二つに分類し、広く一般向けに構成された教えが顕教で、個別の弟子に対して与えられる特別な教えが密教であることを説明している。過去においてチベットでは、顕教よりも密教への関心が高かったが、法王は亡命後に、僧院・尼僧院において、密教の儀軌を行うだけではなく、一般的な教えである仏教哲学のカリキュラムを導入するように推奨されてきた。その結果の一つとして、今では女性の仏教博士が誕生している。
短い休憩時間になり、聴衆の中にはトイレなどで席を離れる者もいたが、法王はその間も本尊ヨーガや菜食主義、縁起と究極の真理との関係について、聴衆からの質問に答えられた。
法王はお話のまとめとして、釈尊が成道後に述べられた次のお言葉を挙げられた。
しかし、釈尊は最終的に三つの法輪を回された。初転法輪では「四つの聖なる真理」(四聖諦)の教えを説かれ、第二法輪においては智慧の完成である般若波羅蜜の教えを説かれ、滅諦(苦しみの止滅の境地が存在するという四聖諦の第3の真理)の真の意味を明らかにされた。法王は、仏陀の教えとは、現実のありようを正しく理解する智慧を育むことである、と強調された。インドで形成された仏教の哲学学派のなかで、唯識派は、外界に存在する対象物に実体はなく、ただ心だけが真実として成立していると主張した。一方、ブッダパーリタが属する中観派は、それ自体の側から他のものに依存せずに成立する実体は何もなく、一切の現象は単なる名前を与えられたことによってのみ存在する、と主張した。
法王はテキストを読み始められ、テキストの題名がサンスクリット語とチベット語の両方で表記されているのは、このテキストが正統な系譜をもつことを示すためである、と説明された。そして帰敬偈において文殊師利に対する礼拝が記されていることは、この註釈書の内容が、アビダルマ、つまり経典の註釈書である論書についてであることを示している。
法王は、初日の法話会を終えるにあたり、自分にこの教えを授けてくださった前ガンデン座主のリゾン・リンポチェをお迎えし、ここで教えを説く機会に恵まれたことは大変幸運なことである、と述べられた。この法話会は明日も引き続き行われる。