日本(ピコ・アイヤー記)
日本はここ数年来、世界で最も影響力のある仏教国となっている。ダライ・ラマ法王はチベット、中国、インド以外の最初の海外訪問先として、1967年に初めて日本を訪問された。その時以来法王は、「日本には高度で洗練された現代の科学技術と、全国各地に現存する古来の伝統があり、その二つを結び合わせることができる素晴らしい可能性を持っています」と日本人に何度も話されている。そして今回もまた、「物質的な利便性がからだに快適さと安楽をもたらし、精神的・哲学的な教えが心に安らぎをもたらしています。もしこの二つをちょうどよいバランスで結び合わせることができれば、日本は自国に利益をもたらすだけでなく、世界に模範を示すことが出来るでしょう」と指摘された。
これまでの来日同様、10月から11月にかけての今回の訪日期間には数々の主題があったが、中でも法王がよく話されていたのは、紺碧の空と木の葉を縁取り始めた紅葉が仏教徒たちに諭しているように、すべてのものは表面的には常に変化しているが、より本質的なもの(空)は変化しない、という仏教の教えであった。今回の来日中、法王は東京でいくつかの講演を行なわれ、また大阪では学校を訪問されている。しかし、今回の来日における最も重要なイベントは、広島で参加された2日間の平和会議と、真言宗御室派(総本山仁和寺)の大本山大聖院の招聘により聖地宮島で行なわれた数日間にわたる法話と灌頂であった。
日本の聴衆は他国の人々と比べると、非常に物静かで控え目だが、注意深く熱心に耳を傾ける気質を持っており、感情を心の内に秘めておくことを好むようである。しかし、今回法王が向かわれた先々では秋の陽光が眩しく輝き、寺院の灰色の屋根が赤く色付き始めた楓林の上に霧のように立ち現われ、大きな雲が法王を歓迎するかのように浮かんでいた。これは、法王のメッセージと智慧が世界中に知れ渡っているからかもしれないし、日本の人々が心の中にある空虚な部分を埋める何かを必要としているからかもしれない。各地のイベントでは、これまで以上に切迫した問題となっている、社会から遠ざかり、暗い部屋で何もせずに座り込んで陰鬱な日々を過ごす日本の子供達のひきこもり現象について、法王に質問を投げかける場面が多く見受けられた。法王は質問に対する回答の中で、ボランティア活動をすることの利点について何度も述べられた。広島では、「自分のことばかり考えていては、ごく小さな問題でさえ耐え難い程の問題に発展してしまいます」と述べられ、宮島では、(質疑応答の途中で突然英語で話し始められ、)次のように述べられた。「日本の人々にはより高い技術と教育があるのですから、外国の人々を支援することができます。そこで、もっと多くの日本人が支援を必要としている国に行ってボランティア活動に従事し、何か人の役に立つことをすべきだと思います。そして、その土地の人々が抱えている困難を目にすれば、自分の置かれている状況がいかに良好で恵まれているかを知ることができるでしょう。また、何かをすることによって、自分の人生に目標を見出すこともできます。『私は何らかの貢献ができた、奉仕ができた』と感じることができれば、ある種の充実感を得ることができるでしょう。」
仏教の知識に乏しい聴衆のために、「世俗の倫理観」として法王が説かれている世界共通の世間的な知恵は、多くの人たちに感銘を与えている。そういう人たちにとって特に感動的だったのは、広島の平和会議でのひとコマであった。広島市郊外の丘に、一人のリンポチェが20年間専属で教え続けている小さなチベット寺院があり、その寺院までは木々を通り抜けて坂道を登っていくのだが、その瞬間、まるでダラムサラに舞い戻ったような気分にさせられる。寺院の屋根はチベット式の豊かな色彩とシンボルで装飾されているが、もとは日本の寺院である。この寺院を訪問された法王は、そのあと大きな会議用のホールに向かい、旧知の友人でありノーベル平和賞受賞者である、南アフリカのデズモンド・ツツ大主教と、北アイルランドのベティ―・ウィリアムズ氏と一日半のディスカッションを行われた。この三人はそれぞれに悲惨で困難な状況を経験し、苦しみや戦争、偏見を当事者として体験しているのだが、そのような三人が、今や核破壊の代名詞となっている広島に集い、人の心を落ち着かせる温かい共同体意識や、喜び、興奮までも共に分かち合ったのである。
国際色豊かで学生が多い聴衆の中から、メキシコ出身の若い女性が立ち上がった。彼女は涙を流しながら、メキシコ人をアメリカから疎外する目的で建設されている、アメリカとメキシコの国境沿いの壁について述べ、三人の受賞者に助けを呼びかけた。その時、べティー・ウィリアムズ氏は彼女を抱きしめようとアシスタントを向かわせた。ツツ大主教はアパルトヘイトの苦難と、復讐への衝動と戦った自身の経験を例に挙げて、慰めの言葉を掛けた。法王はすぐに同情を示し、仏教的な自立の観点から、現実的かつ実践的な仏教思想の典型的な要点を示された。「あなた自身が立ち向かわなければなりません。何千人もの人たちがあなたを助けてくれるでしょう。あなたは独りではないのです。しかし、なすべき主な仕事はあなた自身の肩にかかっています。希望を失うべきではありません。楽観的な態度を維持して、自分に自信を持つべきです。私たちチベット人の場合も、圧倒されそうな挑戦ではありますが、決して自信を失ったっことはありません。」
法王は全ての問題について、常に建設的な可能性を何か見つけ出すという天性の資質を活かしながら、何度も繰り返し意見を述べられていた。法王は、「現在も進行中のイラク戦争は、19世紀にまで遡る過去の重大な過ちと怠慢が引き起こした結果です。ですから今、正しいビジョンを持って努力を始めれば、今世紀の終わりか次の世紀の始まりには、何らかのよい結果がもたらされるかもしれません」と述べられた。
偉大なサンスクリット語と大乗仏教の伝統――法王が常々おっしゃっているナーランダー僧院の伝統――に基づく教えを法王に乞う人々にとって、宮島での6日間は疑いなく至福の時であっただろう。広島の中心地から40分程のところにあるこの小さな島には、黄金の夢のように水面に佇む厳島神社や、丘陵沿いに立ち並ぶ寺院があり、仏陀が初めて説法をした鹿野苑を彷彿とさせるように、厳島神社のまわりには草を食む二千匹余りの鹿たちもいる。厳島神社は、日本に仏教が伝来し始めた6世紀に建立された。法王が法話を行われた大聖院は丘の中腹にあり、弘法大師空海が806年に長安から帰国した後に建立され、弥山開創1200年祭を迎えていた。弘法大師は、中国密教を日本に伝えてこれを再組織し、真言宗を開かれた開祖である。真言密教のマンダラや印契、密教思想がチベット密教と非常に類似しているのは驚くことではない。
毎朝、大聖院へと続く狭い石段を参拝者の長蛇の列が登っていき、日本独特の風景が持つ研ぎ澄まされた静寂が印象的な輝きと安らぎをその場面に添えていた。宮島の弥山頂上付近にある大聖院霊火堂には「きえずの火」があり、弘法大師が修行をされてから千年以上も絶えず燃え続けていると言われている。大聖院本坊の観音堂の中には、真新しい金色の弥勒菩薩像が中央に祭られ、タンカ(仏画)とマンダラが周囲に配置されている様は、さながらチベットの一風景のようであった。毎日法王が法話を行なわれる観音堂とその庭には聴衆が溢れ、日々雲一つない朗らかな夜明けが訪れて、白いカタ(心からの敬意を表す絹のスカーフ)を掛けたチベット人や、法王と記念写真を撮ろうと興奮した面持ちで寺院にやってくる恰幅のよいモンゴル人力士や、物静かな日本人女性と流行のヴィトンのバッグを提げた何百人もの日本の若い女性たちに紛れた外国人仏教徒や旅行者の姿をちらほらと目にするにつけ、まるでダラムサラが日本にやって来たような錯覚を何度も体験した。
法王は宮島での初日の午後、大聖院観音堂で弥勒堂開眼善住供養を執り行なわれた。儀式の準備は全て南インドのデプン寺から来日した12人のチベット人僧侶が取り仕切った。光沢のある紫色の袈裟を纏った日本人僧侶たちの読経に続き、その横に座ったチベット人僧侶たちによる読経が行なわれた。それに続く2日間、法王は仏教哲学の心髄である「縁起に基づく空の見解」について解説された。観音堂の中の受者たちは畳の上に座り、外の受者たちは灰色の折りたたみ椅子に座って秋の日差しに照らされながら、皆静かに注意深く聴き入っていたが、ある時ふと法王は、「あまり熱心に聞いてくださるので、皆さんは私の話すチベット語がわからないということをすっかり忘れていましたよ」と笑いながらおっしゃった。
それに続く3日間、法王は「金剛界マンダラの灌頂」と「胎蔵界マンダラの灌頂」の儀式を集中的に執り行われた。それは世界中の研究者たちを引き付ける特別な内容であった。私のような者―――つまり、イギリス生まれのインド人で、カリフォルニアで育ち、ジャーナリストとなって現在日本に住んでいる―――にとっては、チベットとその伝統が私たちの中に流れ込んできて、チベットは世界の一部であり、世界もまたチベットの一部なのだと感じることができたすばらしい体験であった。身に染みるような、薫り高い快晴の秋空の下、法王の法話に耳を傾けながら過ごしていると、日本とチベットがひとつの伝統を分かち合い、日本はその伝統を支えて他の世界とそれを共有するという特別な立場にあることを感じさせられた。例えば、カリフォルニアから来た若いリンポチェが北京から来た熱心な一団に中国語の同時通訳をしていたり、韓国語に通訳している人もいれば、もちろん英語に通訳してくれる人もいたのだ。
法王が訪問される先々では、日常の悩み事や問題を法王に相談する人たちがいるが、法王はいつもすぐに使える実用的なアドバイスを提示される。そして、日本のお寺に併設された学校を、伝統的な教育課程の内容を教えるだけでなく、子供たちがやさしさ、思いやり、非暴力などの価値を学ぶことができる場所にするという提案もされた。さらに、インドと同じように日本の人々にも、精神的・哲学的な面において、未来のことを考えるだけでなく、過去のことも忘れないようにして欲しいという要請もされていた。
法王がダラムサラに戻られ、長期に渡る次の訪問地での一連の法話の準備をされているであろう今、日本がよりよい方向に、より深い可能性に向かって少し目覚め、以前から法王が常に強調されているように、利他の心で、自信を持って、勤勉に働くといった基本方針が私たちにとって今までより少しでも強く、より明確になったのではないか、という希望が持てるような気がしている。3年前に法王が訪れられた、鹿がたくさんいる奈良公園の近くにある自宅の机に戻った私には、まだ空にある暖かくて雲のない太陽の光が、今、法王の教えのおかげで、私たちの心の中のどこかにもあるのだということをごく自然に信じることができたのである。
*ピコ・アイヤー:24年間タイム誌でライターを務め、8冊の本の著者。現在ダライ・ラマ法王の世界的規模の活動について執筆中。