人権、民主主義と自由について

ダライ・ラマ14世 テンジン・ギャツォ

今年2008年は、世界人権宣言が採択60周年を迎えます(1948〜2008年)。この宣言は、すべての人間は貧困や恐怖から自由になるための権利を持っていることを示しています。この権利は包括的で相互依存的、そして普遍的なものです。

あらゆるところに存在する貧困の苦しみ、自由の否定、武力紛争、自然環境を無視した態度など、私たちはそのような出来事に直接関係しているかどうかにかかわらず、それを自分たちと切り離して見るべきではありません。結果として、私たちはその影響を受けることになるからです。ですから、この地球規模の問題に取り組むために、人類はひとつであるという相対的な観点や、互いに深く繋がりあった今日の世界の性質について深く理解した、効果的で国際的な行動が必要なのです。

生まれたときに、すべての人間は生きていくために必要な資質—思いやり、育むこと、慈愛、を自然と授かります。しかしながら、私たちはこのようなポジティブな資質を持っているにもかかわらず、それをおろそかにしてしまう傾向があります。結果として、人類は不必要な問題に直面することになります。私たちがしなければならないことは、その資質を維持し、発展させるためにもっと努力することです。ですから、人間の価値を促進することは極めて重要です。国籍、宗教信仰、人種の違いや、裕福なのか貧しいのか、教育を受けているかそうでないかにかかわらず、お互いによい人間関係を築くために力を注ぐことが必要です。私たちは同じ人間同士なのですから。私たちは困難に直面したとき、いつも誰かと出会います。それは、見知らぬ人かも知れませんし、即座にあなたを助けることを申し出る人かもしれません。私たちはみんな、厳しい状況下ではお互いに依存し合いますし、無条件にそうします。助ける前にその人が誰かなんて尋ねません。私たちと同じ人間だから助けるのです。


貧富の格差の縮小


この世界はますます相互依存的になっています。しかし、この相互依存的な人間社会は、目標の選択や協力の手段において、またその目標を遂行することにおいて、慈悲深くなければならないということを、私たちは理解しているのでしょうか。経済制度が私たちの社会で獲得した素晴らしい力と、貧困をもたらし続ける悲惨な結果は、経済を慈悲に基づいたものに転換する手段を私たちに探させる必要があります。思いやりのこの形式は、世界人権宣言中の中で具現化されたすべての尊厳と正義の法則を肯定します。

どこで起ころうと、貧困は社会不調和、健康障害、苦痛や武力紛争の重大な原因となっています。もし、私たちが現在の道に沿って歩み続けるのであれば、状況は取り返しのつかないことになっていくでしょう。この絶え間なく広がり続ける格差はすべての人々に苦痛をもたらします。自分自身やその家族、社会や国だけではなく、全体として人類を構成する個人、コミュニティー、国に対しても責任を感じなくてはなりません。私たちは苦しんでいる人々への慈悲だけではなく、社会正義を保証する約束についても要求します。

もし、人権の概念の中心にあると私が信じている平等の根本原理への取り組みについて、私たちが真剣であるのなら、今日の経済の不均衡を無視することはできません。すべての人類が平等の価値を享受するには話すことだけでは十分ではありません。行動に移さなければならないのです。


民主主義と平和

今日では、民主主義、開かれた社会、人権の尊重、平等は世界中で普遍的価値として認識されています。私の心の中では、民主主義の価値と、人間の善良性の根本的価値には密接な繋がりがあります。民主主義のあるところには、その国の国民が基本的な人間の資質を表現するための、より偉大な可能性があります。また、基本的な人間の資質が広く行き渡っているところでは、民主主義を強固なものにする、より偉大な余地があります。最も重要なことに、民主主義は世界平和を保証する最も効果的な基礎でもあるのです。

しかしながら、平和のために働く責任は、私たちのリーダーだけにあるのではなく、私たち個々人にもあるのです。平和は私たちそれぞれの中から始まります。私たちが内的平和を保っているときは、まわりに対しても平和的でいられるのです。私たちの社会が平和な状態にあるとき、近隣の社会などに対してもその平和を分け与えることができるのです。私たちは他者に対して愛や思いやりを感じるとき、その人たちに愛されている、大切にされていると感じさせることだけではなく、自分たちの内的な心の幸せや平和を育てることにも助けとなります。私たちは愛情や思いやりを育てるために意識して働くことができます。ある人には、宗教的な実践が最も効果的な方法となります。ある人には、無宗教的な実践かもしれません。重要なのはこの私たちが住んでいる世界と、お互いとに、真剣に責任を取るために誠実な努力をすることです。


人権

法の下で平等が供給されることで、この宣言は誰もがいかなる差別もなく、平等と自由の権利を有すると述べています。自由と平和は、基本的人権が侵害される限りは保証されません。同様に、弾圧や抑圧がある場合は平和や安定はありえません。人々の人権を犠牲にして、自らの利益を追求することは公平ではありません。真実を受け入れることができなかったり、真実を述べることが違法だと考えられる場合には、真実は輝くことができません。私たちが真実と事実をカーペットの下に押しやり、違法な行為を勝利のために認めるならば、真実や現実の観念はどこにあることになるのでしょうか。


チベットの人権

もし、自分達と同じように、他者へ対しても平和と幸福への平等な権利を認めるならば、それらを必要としている人々を助ける責任はないのでしょうか。民主主義と基本的人権の尊重を望むことは、ヨーロッパやアメリカと同様、アフリカやアジアの人々にとっても重要なことです。しかし、当然のことながら、しばしばそういう人権が尊重されていない人々は、彼ら自身について自由に話すことができないのです。自由を享受している我々に責任はかかっているのです。

できるかぎり完璧に理解されるべき、チベットでの悲しい一連の出来事がありました。中国政府は私がこれらのチベットでの抗議を指揮したとして非難したので、この申し立てを調べるため、中国からの代表を含む尊重される組織による徹底的な調査を呼びかけました。このような組織はチベット、チベット自治区の外にある従来のチベット地域、そしてここインドにあるチベット中央行政府を訪問することが必要となるでしょう。国際メディアの代表団もまた、このような調査を請け負うのであれば、国際社会と特に検閲されていない情報にアクセスできない10億人以上もの中国人のために、そしてチベットで実際に何が起こっているのかを知るために、それは非常に助けになります。

たくさんのチベットでの人権侵害は、疑惑や、信頼とチベット文化や地域に対する本当の理解の欠如を結果としてもたらしていると私は思っています。過去に何度も述べたように中国の指導者にはチベット仏教文化と文明に対する、より良い、そしてより深い理解と認識が必要です。私は鄧小平の、事実から真実を見つけ出さなければならない、という賢明な声明を支持します。したがって、私たちチベット人はチベットでの中国のルールがチベット人へもたらしている進展と改善を受け入れ、認めなければならないのです。同様に中国当局はチベット人が過去50年の間にとてつもない苦痛と破壊を経験していることを理解しなければなりません。

いくつかの発展や経済成長にもかかわらず、チベット文化は生き残るための基本的な問題に直面しています。深刻な人権侵害はチベット中で続いています。それは深い問題の兆候と結果に過ぎません。中国当局は、忍耐や、全く異なったチベット文化と宗教における多元的共存の観点を持つことができません。そのかわりに、疑念を持ち、支配しようとしています。チベットにおける中国の大多数の「発展」計画は中国社会と文化へ同化させるため、そして多数の中国人をチベットへ移住させることによりチベット人を人口統計的に支配するために意図されています。その他の地域では中国政府と党によって深い変化がもたらされましたが、これは不幸にも、チベットでの中国の政策は厳しいものであり続けるということを示しています。このような熟考された政策の結果、独自の文化やアイデンティティを持ったすべての人々は完全に圧倒される脅威に直面しているのです。

主要な学びの場に加え、チベット仏教文化の宝庫であるチベット僧院はその数においてひどく減少したことは周知の事実です。まだ残っている僧院では、本格的な仏教を学ぶことは、もはや許されていません。事実、その学び中心の場である僧院へ入ることさえ厳しく制限されています。実際のところ、チベットには宗教の自由がないのです。少し多くの自由を求め叫ぶことでさえ、分裂主義者のレッテルを貼られるリスクを伴うのです。チベットには本当の自治はありません。たとえ、その基本的自由が中国の憲法によって保証されていたとしてもです。

私はチベットで起きているデモや抗議活動にはこの抑制への反応が反映されていると思っています。さらなる抑圧的手段は、統一や安定へと導くことはないのです。


人権と中国

中国は人権、民主主義、そして法の支配を必要としています。なぜならこれらの価値は自由で活発な社会の基本だからです。また、本当の意味での平和と安定の源でもあります。オープンで自由で民主的な中国はチベット人にとっても利益となるでしょう。対話や、誠実さと透明性を持ってチベットの現実を見ることによって、中国は私たちの問題の実行可能な解決法へ導くことができるということが、私の確固たる信念です。偉大な進歩は中国を世界経済へ統合させましたが、世界的な民主主義の本流へ入ることを促すこともまた同様に重要だと私は思います。


人権遵守の改善


国際的に、私たちの文化と宗教の豊かな多様性はすべての社会で基本的人権が強化されるよう手助けするべきです。この多様性の根底にあるものは、私たちみんなを同じ人類の家族のメンバーとして束ねている人としての基本的原則です。人権の問題は、違った見解があってはならない、根本的に重要なものです。私たちはみんな、共通の要求と関心を持っています。私たちはみんな、幸せを求め、人種、宗教、性別や社会的地位に関係なく苦しみを避けようとします。しかしながら、単なる伝統の多様性の維持が人権侵害を正当化することは決してありません。このように、異なる人種の人々や、女性、社会の弱い部分の人々に対しての差別は、一部の地域では伝統かもしれませんが、普遍的に認識されている人権と一致しないのであれば、このような行動形式は変更する必要があります。すべての人々の普遍的平等の原則は何よりも優先されなければなりません。


世界には変化するためのすばらしい成長への情熱があります。それは、道徳的、精神的な価値への新たな約束の到来を告げ、争いを平和的に解決し、対話と非暴力を用い、人権と人間の尊厳、同じく人間の責任を遵守するための変化です。地球と環境保全のシステムをケアする緊急のニーズについて教育し促進するため、すべての国家に核兵器とその他の大量破壊兵器を全世界的に廃棄することを働きかけるよう求めるため、そして、平和や慈悲、敬意や温かい心を持つことを奨励するための変化が必要なのです。私は、これらのゴールは意識の高まりを基に達成できると信じています。私たちの繁栄と自由のビジョンにおいて、すべての世界の幸福と未来の世代を含めて考えるよう、視野を広げましょう。

 

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