インド、ジャンムー・カシミール州ラダック地方レー
ダライ・ラマ法王は、今年のラダック地方ご訪問最後のプログラムにご出席のため、チョグラムサルにある仏教学中央研究所(CIBS)のアーリヤ・ナーガールジュナ講堂に戻られた。法王は、そこで3日間にわたって開催される「ラダック地方の仏教」についてのセミナー初日の主賓として招待されており、所長のコンチョク・ワンドゥ博士が法王をお出迎えした。
所長のコンチョク・ワンドゥ博士は開会の辞でラダック人民を代表して法王を表敬し、来賓と政府高官に挨拶を述べ、法王をこのセミナーにお迎えするのは仏教学中央研究所ならびにインド哲学研究所(ICPR)にとって大きな名誉であると告げた。
ワンドゥ所長は、仏教学中央研究所は2016年1月に大学と同等の資格を得て、独自のカリキュラムや教科書を作成することが可能になったこと、アルナーチャル・プラデーシュ州およびサールナートのチベット学中央研究所との間に交換学生制度を開始したこと、国際交流も拡大し、日本ならびにモンゴル、ロシアの大学とも連携していることを紹介した。
続けてワンドゥ所長は、セミナーの主題を「ラダック地方の仏教」とした理由について、物質的発展は多方面に及ぶが、人々は依然として不満を抱いていることを述べた上で、仏教にはこのような不満に対処しうる役割があるので、学生達は否定的感情を制して慈悲のような良い性質をはぐくむことにより、心の平安を求めるべく指導を受けている、と説明した。そして、仏教心理学の価値を基盤に、精神科学を主眼にした新しい学部の創設が申請中であることを付け加えた。
続いて インド哲学研究所のS. R. バット会長が登壇し、次のように述べた。
「この仏教セミナーの開講式にダライ・ラマ法王をお迎えすることは大いなる光栄と喜びであります。セミナーでは真理のとらえ方と釈尊がお示しになった生き方の双方を主題としますが、それは現代社会にも役立つ必要な項目です。ゆえに仏教の教えと文化を学ぶことは、ラダック地方の、インドの、ひいては全世界の人々の利益となる、私たちにとっての重要事項なのです」
バット会長は、仏教はインド文化の最良の産物であるとして、欧米人が仏教を学び大事にしているのなら、ラダック人であってもそれが可能なはずであると述べ、先週中国で開催された会議において、チベット人学者がインドの論理学について発表した事を紹介した。そしてバット所長は、同様の会議をインドにおいても実現するために、ここ仏教学中央研究所の研究者たちは大きな目標に向かって研究に邁進してもらいたいと述べ、それをインド哲学研究所が支援することを請け合うと伝えた。そして、多くの重要なサンスクリット語の古典資料が失われてしまったのは残念だが、それらのチベット語訳が存在することに勇気づけられたと語った。
次に、法王がリクエストに応じられて、仏教学中央研究所が刊行する3点の新刊書籍の出版を発表された。それらはコンチョク・リクジン博士の英訳『Profound Instruction for Meditation(瞑想の奥義)』、チベット語とヒンディー語によるティンレー・グルメト博士著『Guidance on Definitive Mahamudra(完全版マハームドラー入門)』、およびV. K. パンディー博士著『Vaisheshik Praman Darshan(ヴァイシェーシカ学派の量哲学)』であった。
法王は参集した600名を超える聴衆に向けて、3日間にわたる「ラダック地方の仏教」についてのセミナーの開講を宣言することは、ご自身にとって素晴らしい栄誉である、と語られた。
「シャーンタラクシタがチベットにもたらしたナーランダー僧院の伝統、それをチベット人が千年以上護持してきたことにより、ヒマラヤ地方にその伝統が広く根付くことになりました。中国も伝統的に仏教国であり、中国人も同じ仏教徒です。今でも世界中の中華街には仏教寺院があり、信仰は残していますが勉強は足りていません。チベット人だけが重要な典籍の厳密な学習を基盤に、ナーランダー僧院の偉大な導師たちおよびその後チベットに来訪した高僧の論書を学習してその伝統を維持しています。私自身も6、7才の頃から同様にしてきました」
「私はどの宗教に対しても敬意を持っています。キリスト教やユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教の各宗派、シーク教など、すべては慈悲の心を高めるために貢献するものです」と法王は述べられて、次の偈を引用された。
「釈尊はご自身のお言葉の論理的一貫性を吟味する自由を私たちに与えてくださいました。教えを吟味するには、ディグナーガ、ダルマキールティ、シャーンタラクシタの素晴らしいが難解な論書を読み、論理的緻密性に従って行う必要があります」
「非仏教文化圏の国々を訪問する場合、私は仏教の宣伝をしないように注意しています。一般的に言うならば、キリスト教やユダヤ教、イスラム教の文化で育った人々は、それぞれの生まれついた信仰を守った方がいいのです。一方、伝統的な仏教国を訪問するときは人々に勉強することを奨励しています。仏像や仏塔を建立することよりもはるかに効果がある、と言っています。数年前、ツォペマのパドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)の大きな仏像の開眼供養をしてほしいと招かれたことがあります。私はパドマサンバヴァに関する修行をしていますし、仏像建立も素晴らしいと思いますが、たとえ仏像が千年以上残ったとしても、仏像が仏法を説いてくれることは決してない、と指摘しました」
「盲目的信仰に回帰するよりも、自分の知性を使って破壊的感情(煩悩)を滅し、心をよりよく変容させる方が断然よいと思います。60年以上の勉学、分析的瞑想、広大な論理を用いる修行を続けてきた私自身の経験から、そう言えます。破壊的感情を存続させる論理的な根拠は存在しない一方、良い感情は理由を基盤に強化拡大できる、というのが私の学んだことです」
「そして、僧院、尼僧院、学校で学習するのが仏教の伝統を生き生きと保持するための正当な方法です」
「人間の基本的本質は慈悲であることが明白である、という科学者たちの研究結果こそ希望の根源です。だからこそ、人間として私たちには世俗の倫理が必要なのです。思いやりがあって裏表がないなら、まわりの人々の信頼を勝ち取り、自然と友人も集まってきます。武器に大金を費やすより、ずっと効果的です。武器をもって問題解決にあたるのは根本的に誤ったやり方です」
法王は、1993年にダラムサラで開催された欧米仏教指導者会議において、仏教教師のなかに明白な不品行を犯している者がいるとの不満が提起されたことを思い出して語られた。その時は、もし警告に応じない場合は彼らの不品行を公表することで合意した。法王は、ご自身もよくご存じのソギャル・リンポチェの生徒達が、最近、リンポチェの不品行を子細に公表したことを挙げられた。台湾在住のもうひとりの仏教の指導者についても同様の報告が表面化している。
法王は、ツォンカパ大師が御著書の『菩提道次第論』の中で師の資格、並びに弟子はどのように師に従うか、師弟関係はどのように維持されるべきかを規定していることを示され、ゲルク派に限らず、チベット仏教の全宗派がそれに従うべきである、と明確に指示された。そして、修行道の成り立ちについて幅広い理解を得るために勉学が必要であると重ねて強調された。
インド哲学研究所の幹部であるR. K. シュクラ博士は、ラダック地方に流布しているサンスクリット語の仏教の伝統に敬意を表して、感謝の辞をサンスクリット語で開始した。シュクラ博士はこのセミナーが高い目標を掲げており、法王のご訪問が可能になったことに参加者全員が喜びを感じていると述べた。
今回の法王ご来訪の締め括りとなるレセプションは、シワツェルの法話会場で開催され、ラダック仏教協会(LBA)の副会長が法王と来賓をお出迎えした。そこではモラヴィアン校、リクラム校、SOSチベット子ども村学校、ラダック公立学校の生徒たちが次々に素晴らしい歌と踊りを披露した。2日前にインダス川の急流に流された少年を救助した2名の青年も法王に紹介された。
法王は短い挨拶の中で歌と踊りを披露した生徒達に感謝され、その後、仏教は東のアルナーチャル・プラデーシュ州から西のラダック地方まで行き渡っているが、仏教の将来的な存続のためには勉学と修行が基本であると再度言及された。加えて、心の科学としてのナーランダー僧院の伝統の重要性について強調された。最後に法王は、ラダック地方全体に漂う異なる宗教間の協調性と地域の一体感が見られたことに満足され、それをこれからも大切にするようにと出席者全員に勧められた。
ラダック仏教協会青年団会長のリンチェン・ナムギャル氏が、法王並びに来賓各位のご出席に対して謝辞を述べ、セミナーの成功に寄与した主催者と関係者に謝意を表した。昼食が振る舞われた後、法王はシワツェルの公邸に戻られた。
明朝、法王はレーを出発して空路でデリーに向かわれる。