東京
「ダライ・ラマ法王と科学者との対話―日本からの発信」の2日目は、筑波大学 / テキサス大学サウスウェスタン医学センターの柳沢正史教授の発表「睡眠・覚醒の謎にいどむ」から始まった。
柳沢教授は、睡眠とはたんに脳が休息している時間なので、睡眠中の脳はスイッチが入ったメンテナンスモードにあるようなものだと説明した。睡眠量は動物によってさまざまで、たとえば羊は1日4時間眠り、ハリネズミは17時間眠るが、睡眠を必要としない種は一つもない。柳沢教授は、「なぜ人間は人生の3分の1を無意識で過さねばならないのでしょうか?」と 問いかけて、環境に危険がおよぶ可能性との関連について語った。
マウスを使った実験やナルコレプシーの患者の実例などさまざまな例に基づいた発表が終わると、法王はすかさず、「植物も眠るのですか?」と質問された。柳沢教授は、自身の研究分野では“睡眠”の定義は非常に厳格であるとしたうえで、「神経システムが十分に発達した生物は眠ることができます。ショウジョウバエや魚は眠ります。植物の場合も休息は取りますが、睡眠のようなものではありません」と説明した。
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「科学者との対話」の2日目、笑いの効用を楽しまれるダライ・ラマ法王。2012年11月7日、東京(撮影:チベットハウス・ジャパン)
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法王はこれについて、「私は、睡眠には心が関与していると考えています。現代科学は物理的なもの、測定できるものを対象としてきました。しかし心については、未解明の部分がじつに多いのです」と述べられた。さらに飛行機による移動で9時間の時差がある際のご体験にふれられて、「現地の時間に合わせようとすれば睡眠サイクルを変えることはできます。しかし、からだの生理機能を変えることはできません。つまり睡眠は心が決めているということではないでしょうか。実際、夢の中では知覚から派生する意識はあまり強くありません。ですから夢の中では、純粋な意識の働きについてよく探究することができるのです」と述べられた。
続いて、東京大学救急医学分野教授で救急・集中治療部部長の矢作直樹医師が自身の事例に基づいて発表した。矢作教授はまず、自身が治療した26歳の女性患者について語った。うつ症状があったその女性は10階の窓から身を投げ、救急治療室に運ばれてきた。そして奇跡的に一命をとりとめた。その患者は回復すると、「強い光を見ました。そのとき突然、生きなければならないと気づいたのです」と矢作教授に語ったという。さらに矢作教授は、自分にも日本アルプスを登山中に数百メートル以上滑落しながらも自力で生還した経験が二度あること、山を降りた時にどこからともなく「二度と山には来るな」という声が聞こえて、その場で登山家になる夢を諦めたこと、西洋医学では治せないはずの病を癒すヒーラーと出会ったことについて発表した。
法王は矢作教授の発表が終わると、「不思議な経験をされましたね。しかし、普遍的レベルで適応させることはできません。私は基本的にヒーリングパワーというものを信じていません。しかし特殊なケースとしては(矢作教授にうなずきかけながら)あり得ることですね」と語られた。そしてヒーリングパワーに対する好奇心から法王の講演を聴きに来る人々について、「ダライ・ラマに奇跡を起こす力があると思って話を聴きにいらっしゃるとしたら、それはじつにナンセンスです。ダライ・ラマにはヒーリングパワーがあると思っている人もいるかもしれませんが、私にはそういう力はありません。もし100パーセント治ると保証できるヒーラーがおられるなら、ぜひ私の膝を診ていただきたいものです。私はずっと膝に問題があるのですから!」と述べられた。
最後に、早稲田大学研究員客員教授で国際科学振興財団研究員の河合徳枝教授が「<幸福感の脳機能>を測ることは可能か?」と題して発表を行なった。バリ島の祭儀で起こるトランスに着目した河合教授は、村民の信用を得るために10年かけてバリ舞踊を学び、ついにトランス状態で伝統舞踊を舞う村民の頭部に脳波計を付ける許可を得た。データを整理するのにさらに3年を要したが、トランス状態のダンサーはノルアドレナリン、ドーパミン、β−エンドルフィンの数値がはるかに高く、聞き取れないレベルの高周波のガムランの音が幸福感を増幅させていることを突きとめた。
法王は、「神託官が神のお告げを伝える儀式には、私も幼少期から慣れ親しんできました」と述べられてから、次のように語られた。「私も友人の何人かも、トランス状態にある人のからだにどのような変化が起きているのか調べたいと常々思ってきましたが、今のところそのような分析の機会は訪れていません。ですから、あなたの研究は我々にとっても非常に役立つものです。」
「しかし、仏教徒の見解から言えば、これらの精霊は生きものとしての形態が異なっているのです。このような精霊を神聖だとか重要だとか思ってはいけません。これらの精霊は、ただ別の形態を持つ生きものにすぎないからです。人間と同じで精霊の世界にも、よい精霊、悪い精霊、中立の精霊がいます。しかしここで混乱して、“そのような存在は注目に値する”などと考えてはなりません。これらの精霊を過剰に重要視して帰依したりするならば、もはや仏教徒ではありません。」
「また私たちは、このような精霊が天国から降りてくるなどと決して考えてはなりません。天国には、本物の内なる精神的資質があるはずです。本当のよろこびや心の平和は、心を訓練することによって得られるものであり、これが精神修行の本当の目的なのです。」
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昼食休憩のために席を離れていた参加者が再び席に戻りはじめると、席が埋め尽くされるよりも早く法王はパネリストとともに再びステージに登壇され、90分間にわたって前日と午前の発表の総括としての議論を行なわれた。最初に提起されたのは、「植物には心があるか?」という問いだった。
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2日間にわたる「科学者との対話」の最終セッションで、総括を行なわれるダライ・ラマ法王と科学者たち。2012年11月7日、東京(撮影:チベットハウス・ジャパン)
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法王は、ご自身のことにふれられて次のように述べられた。「仏陀がなぜ立派な宮殿の中ではなく大樹の下でお生まれになられたのか、私はいつも考えます。仏陀が悟りを開かれたのは菩提樹の木の下でしたし、入滅されたのも木々の下でした。しかしそれでも、仏教では植物に心はないとしています。ジャイナ教など植物に心があるとする伝統宗教もありますが、仏教徒の見解は異なります。」
宗教学者の棚次正和教授は、人間が経験することは“3階建て”の構造になっているとして、1階はからだなど目に見える物質世界、2階は祈りや瞑想など間接的体験として知っている半透明の世界、3階は不可視の永遠なる無限世界であると説明した。法王はこのような見解に同意はされなかったものの、仏教においても、直接目で見ることができる明らかな現象、見ることはできないが存在を推定できる隠された現象、見ることはできないが物質的な存在のカテゴリーに入るきわめて隠された現象、という三種の分類があることを説明されて、次のように語られた。「とはいえ、これについてはナーランダー僧院の伝統という仏教の原点まで遡らねばなりません。つまり、ナーガールジュナをはじめとするナーランダー僧院の学匠が書かれたテキストを参照して考えねばならないということです。そうでなければ、仏教と地域の精霊信仰が混交し、仏教本来の教えが希薄になり、変質することになります。」
法王は、ノーベル平和賞受賞者が広島に集まって行なわれたサミットを想起されて、「祈るだけでは平和は実現しません。平和は行動を通してしか生まれないのです。他者を助けるにはまず、自分自身の内面に平和を育まねばなりません。さらに、万人共通の普遍的な宗教というものはありません。70億人の人間すべてに共通してあてはまるのは、科学的事実に基づいた常識だけなのです」と述べられた。
また法王は、死後の世界と『チベット死者の書』に関する質問に答えられて、「それよりも、いかにして今の人生を建設的で意義深いものにしていくべきかを話し合うほうがはるかに重要だと思います。笑いの訓練もよいですが、慈悲の心を育む訓練をもっとしてください。慈悲には副作用がないのですから」と述べられ、前日に笑いの効用とその副作用がないことについて発表した村上教授に向かって、楽しそうに笑いかけられた。
法王は、2日間にわたる「科学者との対話」を振り返られ、「このような対話が日本で行なわれたことをとても幸せに思っています」と語られた。「日本の国土はさほど広くはありません。しかし日本の皆さんはじつに賢明で勤勉です。第二次世界大戦で日本は廃墟となりました。しかしそれでも皆さんは灰の中から立ち上がり、決意と勤勉さをもって新しい国を築かれました。どうかこれからは、内面の価値にも目を向けてください。」
2日間にわたる充実した対話と議論が終了した。法王は会場を出られると、テレビ局の取材班やジャーナリストの前で足を止められて、インタビューに答えられた。その中で法王は次のように語られた。「私は本当に長い間、仏教の伝統に基づいた仏教科学と現代科学との対話が実現する日を待ち望んできました。このような対話は仏教と現代科学の双方を利するものです。 私はこのような対話を30年間にわたって西洋で行なってきましたが、ついに日本という偉大な仏教国で開催することができました。2日間にわたる今回の対話に、じつに満足しています。これは始まりにすぎません。このような対話が継続されることを願っています。」