法王は幼少時代から機械に深い関心を持っておられ、1967年の初来日の折には新幹線に感動され、どのように動くのか分解してみたかった、と述べられた。チベットにおられた頃は、高性能の望遠鏡で天空を見るのが楽しみで、月は自ら光を発しているのではなく太陽の光を反射しているのだということを、家庭教師の先生に観測によって示されたこともあった。法王は科学者たちが維持している偏見のない心を、真の国際主義と称して賞賛された。科学者たちが研究を行なう時には懐疑的である必要があるが、それと同時に、常に偏見のない開かれた心で客観的に対象を見つめることが求められるのである。
40年前、法王が科学者との対話に最初に関心を持たれた時、法王のご友人の中にはそれに反対する人たちもいたが、その時に法王は仏教の師、とくにナーランダー僧院の多くの学匠たちが懐疑と探求の精神を非常に重視していたことを考えられたという。懐疑がないところにはいかなる疑問も生まれない。そして疑問がなければ探求も行われない。そして探求がなければ、物事の現実を見つけることはできないのである。
法王は、常に仏陀のお言葉をきわめて真剣に受け止めてこられたことについて次のように述べられた。「学者や僧侶は、仏教に対する信仰心だけからその教えを受け入れてはなりません。自ら検討した結果として受け入れなければならないのです。ナーランダー僧院の学匠たちは、仏陀が説かれた教えすらもご自身で正しいかどうかを調べ、探求されていたのです。」
「現代科学は物質についての知識という面では大変発達していますので、今日の亡命チベット人社会でも科学は僧院の一科目となっています。その逆に、古来の心理学、とりわけインドで発達した仏教心理学は現代科学に大いに役立つと思います。」
「過去3,000年から4,000年の間、人々は問題に直面するといつも神や何らかの神秘的な力に祈ってきました。しかし、最近の200年間は、人々は科学技術に頼ってきました。技術は私たちが望むものを一瞬にして与えてくれますが、今日の人類はきわめて深刻な問題に直面しており、そうした問題を技術だけで解決することはできません。それはつまり、人間が持つ慈悲の心を高めていかなければならない時が来ており、科学的な知見に基づいた世俗的倫理を求めて努力しなければならない時が来たということです。」
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科学者側のスピーチが始まり、最初に、筑波大学名誉教授で法王と旧知の仲である村上和雄教授が演壇に立った。村上教授は、「遺伝子オンでいのちを輝かす」というタイトルでスピーチを行なった。
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「ダライ・ラマ法王と科学者との対話―日本からの発信」が開催されたホテルオークラ東京の会場。2012年11月6日、東京(撮影:チベットハウス・ジャパン)
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村上博士は静かな、しかし非常にリラックスした様子で、50年にわたる(そのうち30年以上が遺伝子の研究に捧げられた)科学者としての仕事について楽しそうに語った。村上博士は、近年、科学者は“オン/オフのスイッチ”を発見したと述べ、悪いストレスをなくして“よいストレス”を構築し、心を転換することで世界を変革するというダライ・ラマ法王の教えと比較して、ある時、実験として、入院患者のグループに科学者の難しい話を聞かせたところ、血糖値が平均123に上がり、その後しばらくして漫才師の笑える話を聞かせたところ、77に下がったという経験について次のように語った。
「笑いを代替薬とするべきだとは申しませんが、両方を試すべきでしょう。いずれにしても笑いに副作用はありません。医学の世界では副作用なしに効果を発揮する薬は存在しないのですから。」
「誰がDNAをプログラミングしたのでしょう? 人類ではありません。こうした遺伝子のコードは自然がプログラミングし、コード化したのです。そして一番小さな細胞にもじつに大量の遺伝子情報がコード化されています。驚くべきことです。そうしたことは目に見えませんが、畏敬の念を呼び起こします。世界で重要なものは私たちの目に見えません。大腸菌がどうやって人間のホルモンを作れるのでしょうか? 世界中の科学者が、世界中のあらゆる材料を使っても1つとして生物細胞を作り出すことはできません。その60兆個の細胞で人間はできているのです。」
村上教授は、こうした全てのものの源を「サムシング・グレート」と呼んでいる。そして世間に流布した“利己的な遺伝子”に対置させて、教授が“利他的な遺伝子”と呼ぶものにより多くの関心が寄せられるようになるとよいと述べた。
さらに、生きていることは宝くじに当たるようなものなのに、我々の多くはそれを当たり前のことだと思っている、と村上教授は述べた。
村上教授のスピーチが終わると、旧友との対話を行ないたくてうずうずしておられたダライ・ラマ法王が、「植物には心があると思いますか?」と質問された。村上教授は、「植物に人間のような心があるとは私は思いません。たとえば、動物には心がありますが、その心は人間のものと同じではありません」と答えた。ダライ・ラマ法王は、この問題を神経科学者である故フランシスコ・ヴァレラとともに時間をかけて探求したことについて述べられ、自分自身で自らを移動させることが出来るものは生きており、心を持っていると結論付けた、と語られた。
法王は、笑いはなぜ大きな喜びの表現であるのか、くすぐられたときのぎこちない反応であるのか、そして涙はなぜ大きな悲嘆と幸福の両方の表現であるのか、という疑問にふれられて、「涙の科学」について研究してみたい、と述べられた。
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次に、静岡理工科大学の志村史夫教授が、量子物理学と般若心経の関係をテーマにスピーチを行なった。志村教授は、量子物理学は色即是空を、つまり物質が空であるということに思いをめぐらすもう1つの方法であると語り、脳の中は一杯詰まっているようでも本質的には空であり、原子がそのことを証明している、と述べた。
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「ダライ・ラマ法王と科学者との対話―日本からの発信」を笑顔で聴講する参加者たち。2012年11月6日、東京(撮影:チベットハウス・ジャパン)
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さらに志村教授は、現代物理学ではあらゆる物事が相互依存し、孤立したものは何ひとつないということに光を当ててきたと述べた。そして、これらの事実を踏まえて、仏教の考えかたを「仏教物理学」と命名した。
法王は、古典的な仏教思想には、直接目で見ることができる明らかな現象、風のように、見ることはできないがその効果によって存在を推定できる隠された現象、見ることはできないが物質的な存在のカテゴリーに入るきわめて隠された現象、という三種の分類があることを語られ、それについて志村教授と活発な議論をされた。
短い昼食休憩の後、1,200人を超える聴衆が会場に戻ると、鈴鹿短期大学の佐治晴夫教授のスピーチが始まった。佐治教授は、「手に持った紙の中に雲は見えるでしょうか?」と質問を投げかけた。そして、「これは詩的な喩えですが、科学的事実でもあります。紙は木から作られたパルプでできており、木が成長するには水が必要であり、水は雨であり、雨は雲です」と述べた。
これもまた、相互依存の一例である。佐治教授は、私たちが目にする道路の赤信号はさまざまに異なる種類の赤色をしているが、それを見たら止まらなければならないということを私たちは知っている、と述べた。それはつまり、信号を認知するのは目ではなく脳であるということを示している。佐治教授は哲学、詩、科学、言語学、宗教をめぐる幅広い話の後、 聖フランシスコの祈りとアウグスチヌス、そして日本語の「慈悲」について語った。
「心を使って何かを考えるとき、その心はどこにあるでしょう?」と教授は問いかけ、“今、ここに意識を置くこと”の重要性を教授自身、禅から学んだと語った。
これについて法王は、「私は数年前に、科学には“相互依存(縁起)”という概念は存在しないと言われました。しかし今日、縁起は居心地の良い居場所を見つけたようです!」と述べられた。そして“今”を重視することについて次のように述べられた。「“今”はきわめて重要です。けれども私は、それ以上に未来が重要であると感じています。なぜなら未来はまだ空間のように空っぽで、すべてが可能だからです。“今”という現在は、過去の困難な出来事と深く関連しています。たとえば、現在の21世紀の問題は、過去の過ちや見過ごしてきたことの結果として現れた症状であると言えます。しかし未来はこれからやってくるのです。そしてその行方は、私たちが握っているのです。」
この日、表情豊かに快活に司会進行役を務めたのは朝日ジャーナル元編集長の下村満子氏だった。下村氏は、多くのパネリストがふれたように、現在を捉えることは不可能ではないか、と意見を提起した。現在というものは、それを捉えた瞬間にはもう過去になっているからだ。これについて法王は、「“私たちの時代”や“私の一日”には始まりがあるかもしれませんが、“時代”や“日”というものには始まりがないかもしれません」と述べられた。法王は、明らかに意見のやりとりを楽しんでおられるご様子だった。そして佐治教授と心温まる対話をされる中でさまざまな質問をされ、論点を明らかにされた。続いて、東京大学で宇宙学を研究する横山順一教授が演壇に立ち、ビッグバンとビッグバン以前にも存在していたというダーク・エネルギーについてスピーチを行なった。
他の科学者たちが皆そうであったように、横山教授は二元論がいかに時代遅れかを示しつつ、自らの知見と仏教を結び付けた。法王は横山教授の話に熱心に耳を傾けられ、次のように述べられた。「人類は宇宙を探索するために多額の費用を費やしてきました。しかし私たちは、自らの内面については無知なまま生きていることが多いのです。」時間と空間のさまざまな変動について活発に対話が行なわれた後、慶応大学の米沢冨美子教授が「あいまいさの科学」についてスピーチを行なった。
富沢教授は少女時代から宇宙の終わりと時のはじまりについて考え続け、これまでの研究生活の結果、あいまいさの8つの形態を区別するに至ったとして、科学が進歩すればするほどに、これまで私たちがいかに知らなかったかということを目の当たりにするようになった、と述べた。
米沢教授は、こうした物事のあいまいさそのものが可能性の扉となる、としてスピーチを締めくくった。法王は、知的な刺激に満ちた豊かな一日を、次のような言葉で結ばれた。「不確かさとは可能性でもあります。ですから、もっと楽観的になって、もっと努力しなさい、ということではないでしょうか。不確かさが確信を呼び起こすのです。これはじつにすばらしいことだと思います。」