横浜
ダライ・ラマ法王は、ご来日初日に複数の短い謁見を行なわれた後、車で移動されて、パシフィコ横浜展示ホールに入られた。そして6,000人以上の聴衆に向けて、ゲシェ・ランリ・タンパの『心を訓練する八つの教え』について説かれた。この日の横浜はすばらしい秋晴れの日曜日だった。法王は、静かに耳を傾ける満場の聴衆に、「幸せで成功した人生を実現する権利は全ての人にあり、それを実現するだけの能力も全ての人が持っています」と述べられてから、仏教の各学派とその見解について明瞭かつ厳密に説明された。
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パシフィコ横浜展示ホールで法話を行なわれるダライ・ラマ法王。2012年11月4日、横浜(撮影:チベットハウス・ジャパン)
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法王は、苦しみを滅する機会は全ての人にある、と述べられてから、「四聖諦」(四つの聖なる真理)に基づいて、空を理解する智慧と慈悲の心を結び合わせて育む修行をすることによって、苦しみを滅し、終わらせることができる、と述べられた。続いて『心を訓練する八つの教え』のテキストに移られると、最初の偈で、「私は、常に有情を慈しむことができますように」といわれている「私」という言葉に焦点を当てて、仏教における「自我」の意味について丁寧にお心のこもった説明をされた。
法王は、仏教では「無我」を説いているので、実体を持った自我は存在していないが、世間的なレベルで言えば、自我は心とからだに依存して確かに存在している、ということを説かれた。さらに仏教では、からだや物質の因を遡って探求していくと、その因に始まりがないのと同じように、自我にも始まりがないことを説かれた。そして、「自己中心的な心」と「他者を思いやる心」の違いをよく観察すると、苦しみの多くが自己中心的な心から生じ、よろこびの多くは他者を思いやる心から生じるものであることがわかる、と述べられた。
法王は残りの七つの偈について説かれる中で、慈悲は哀れみとは異なるものであるということを強調された。なぜなら、哀れみには相手を見おろすような感覚が入るが、慈悲には平等の感覚がその中心にあるからである。「好き、嫌い」という思考や、名声や称賛を求める心を乗り越えなければならない、と法王は述べられた。
法王は、このように本格的に仏教思想を語る機会を心からよろこんでおられるようだった。昼食の時間になると、「ここまでは心に栄養を与えましたから、からだも栄養を必要としている頃でしょう」と述べられて、短い昼休憩に入られた。
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パシフィコ横浜展示ホールで、モンゴル人の音楽家たちによる民族楽器の演奏をご覧になられるダライ・ラマ法王。2012年11月4日、横浜(撮影:チベットハウス・ジャパン) |
法王は1時間足らずで大ホールに戻られると、『般若心経』がまず中国語で、それから韓国語で唱えられるのをご覧になった。続いて、法王がモンゴルを訪問されたときの映像が映し出されると、豪華な民族衣装に身を包んだモンゴル人音楽家の演奏が始まった。さらに、4人のチベット人僧侶による『般若心経』の読経、そして最後に金と黒の僧衣をまとった日本人僧侶たちが不動の姿勢で読経する様子をご覧になった。
午後の法話のはじめに、法王は、心を訓練する方法について次のように語られた。「私たちは、同じ人間であることを土台として、互いに協力しあう必要があります。もし、あなた方にお話しする時、私はチベット人だとか、仏教徒だとか、ダライ・ラマであることは重要なことだ、などと考えていたとしたら、こうした態度そのものが一種の壁を作ってしまうでしょう。そんなことをして何になるでしょう! 人はみな、同じ可能性を持っていて穏やかな心を得ることができるのです」と述べられた。さらに法王は、私たち自身が作り出す問題の性質について詳細に説かれ、物質的価値や権力、技術を過度に重視して欲深くなりやすい人間の傾向について語られた。そして、「科学的研究に従事している人々も、内なる心の平和こそが最も大切な平和の源であることを確信しています」と述べられた。
「このような内なる心の平和は、どのようにして見つけることができるのでしょうか。賢明な方法は、常に知性を働かせ、心を鋭敏に保ち、心の安らぎを失わないようにすることです。つまり私たちは、心を訓練することによって自己の内にある破壊的な感情(煩悩)を取り除かなければなりません」と述べられた。
法王がスピーチを終えられるやいなや、質問者の列が3本伸び、大ホールの後方に届くほどになった。並んだのは主に若い人々で、日本以外の国々の人の姿も見られた。
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パシフィコ横浜展示ホールでダライ・ラマ法王に質問をする女性。2012年11月4日、横浜(撮影:チベットハウス・ジャパン) |
法王は、15以上の質問のうち、最初の質問に対して次のように答えられた。「現代は、科学者が主導権を握る時代です。しかし誰もが――教師、医者、ビジネスマンですらも――それぞれの分野で内面的価値を育むことができるのです。ビジネスマンが道徳的信条をもって取り組むなら、仕事は今以上にうまくいくでしょう。政治家にしても同様です。」
ステージ近くに置かれたマイクの前に立った質問者が、神経科学と宗教の関係、愛情と執着、育児、環境とチベットについて質問すると、法王は、度々寄せられるこの質問に答えるために立ち上がられ、力を込めて次のように述べられた。
「全ては教育にかかっています。現代の教育システムは物質的価値ばかりを重視しています。それでは充分な教育とは言えません。私たちは現代の教育システムにおいて、科学に裏付けられた世俗的倫理を物質的価値と同等にいかに組み込んでいくべきか、その方策を見つけなければなりません。学校では、からだの衛生については教えますが、心の衛生についての教育はまだ進んでいません。」
若い日本人男性が、福島の原発事故に対する政府の姿勢に対して抱いている自身の怒りについて質問すると、法王は、次のように述べられた。「福島の悲劇はすでに起きてしまったものです。心配しすぎてさらなるストレスを抱えても、何の役にも立ちません。心配したり怒ったりする代わりに前を見てください。未来は開かれているのです。あなたは家や村、地域を再建できる可能性を持っているのです。もしあなたが仏教的な考え方に興味があるなら、テレビを見る代わりに、シャーンティデーヴァの『入菩薩行論』、とくにその第6章「忍耐」を読んでみて下さい。目や耳を通して生じる感覚的な意識を使う代わりに、心の力を使うのです。もっと考えてください! 分析してみてください! そうすれば、あなたはより大きな自信を持てるようになるでしょう。」
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ダライ・ラマ法王の法話会が行なわれたパシフィコ横浜展示ホール。参加者は6000人を超えた。2012年11月4日、横浜(撮影:チベットハウス・ジャパン) |
「私たちは動物のようであってはいけません。動物は何かが起きると条件反射的に反応します。しかし私たち人間には、“心を使って考える”というすばらしい能力があるのです。」
そして最後に、敵という問題について尋ねられると、法王は、「敵は、寛容と忍耐を学ぶ機会を与えてくれる唯一の存在である」ことを入念に説かれた。そして、行為者と行為そのものを混同してはならない、として次のように述べられた。「誤った行動に対しては、時にはすぐに対策を講じる必要があります。しかし、その行為者もまた、あなたと同じ人間であり、そのような人には慈悲が必要である場合もあります。たとえば、自分が間違ったことをしてしまったときは、“私”とその“間違った行為”を区別しています。それと同じように、他者と他者の間違った行為を区別することができるはずです。私たちは、自分の誤った行為に対して『自分の本来の行為ではなかった』と言い訳をするのですから、それと同じように、『それは彼の本来の行為ではなかった』と言えるはずです。」
「ですから、許しを実践することは、悪い行ないを受け入れるということではありません。悪い行為はやめさせなければなりませんが、それを行なった人を恨んだり憎んだりするべきではありません。これは、心の平和、幸福、真の心の健康を実現するための具体的かつ実践的な方法の一つではないかと思います」と、法王は述べられた。